› 自然と歴史の中を歩く! › 2022年07月
2022年07月31日
真夏の八島ヶ原湿原を歩く①―出発は深夜2時半
「朝霧高原から霧ヶ峰へ日帰り旅」に出かけたのは7月2日。あれから、まだ3週間しか経っていません。でも、どうしても7月中に歩きに出かけたいと思っていた八島ヶ原湿原歩きを24日に決行。八島ヶ原湿原(八島湿原)は霧ヶ峰のすぐ北。深夜の2時半に軽自動車を運転して家を出て、またしても片道5時間超の早朝ロングドライブでした。
ルート検索はカーナビ任せ。国道1号から52号を走って、山梨県へ。途中、南部町にある道の駅「とみざわ」でトイレ休憩。時刻は4時40分。この日の山梨県の日の出時刻は48分とされていましたので、そろそろ東の空が白みかけ、巨大なタケノコのモニュメントが浮かび上がって来る頃。
富士川の川面の映る朝日の写真は、午前5時半頃の撮影です。少し前に富士山もちらっと姿を見せてくれました。
ルート検索はカーナビ任せ。国道1号から52号を走って、山梨県へ。途中、南部町にある道の駅「とみざわ」でトイレ休憩。時刻は4時40分。この日の山梨県の日の出時刻は48分とされていましたので、そろそろ東の空が白みかけ、巨大なタケノコのモニュメントが浮かび上がって来る頃。
富士川の川面の映る朝日の写真は、午前5時半頃の撮影です。少し前に富士山もちらっと姿を見せてくれました。
2022年07月31日
富幕(とんまく)山の夏山歩き①―富士山
少しでも秋の気配を感じたいと思い、7月30日、浜松市北区の富幕(とんまく)山を歩きに出かけました。ところが、私の期待は見事に外れ、「真夏日」となった富幕山はまさに夏山。それでも、山歩きを楽しむ人はおおぜい歩いていました。
この日の私の収穫としては、先ずは富士山を見ることができたこと。午前8時48分と9時03分の2ヶ所で雲を背負った富士山。その後、厚い雲に隠れてしまいましたので、見ることができたのはラッキー!
それにしても暑い暑い、夏山歩きとなりました。
この日の私の収穫としては、先ずは富士山を見ることができたこと。午前8時48分と9時03分の2ヶ所で雲を背負った富士山。その後、厚い雲に隠れてしまいましたので、見ることができたのはラッキー!
それにしても暑い暑い、夏山歩きとなりました。
2022年07月31日
雨ときどき晴れの阿蔵(あくら)川沿いの道④―ミヤマカワトンボ
阿蔵(あくら)川沿いの道に何度か現れたこげ茶色の翅をしたトンボはミヤマカワトンボ。半透明の薄い翅ですが、こげ茶色にも濃淡があり、♂と♀とが飛び回っていました。
写真のミヤマカワトンボは♀。♂は青緑色。どちらも体には♪ツヤツヤの金属光沢がありますので、見逃すことはありません。
雨が少ない冬になると阿蔵川の水は涸れ、川沿いの道は静か。でも、この日(7月27日)は水嵩が増し、辺りには轟音が響いていました。そして、時折、小雨が降り、散歩に相応しい天気ではありません。それでも歩くのが、私。
時々、青空が見える不安定な天気でした。
写真のミヤマカワトンボは♀。♂は青緑色。どちらも体には♪ツヤツヤの金属光沢がありますので、見逃すことはありません。
雨が少ない冬になると阿蔵川の水は涸れ、川沿いの道は静か。でも、この日(7月27日)は水嵩が増し、辺りには轟音が響いていました。そして、時折、小雨が降り、散歩に相応しい天気ではありません。それでも歩くのが、私。
時々、青空が見える不安定な天気でした。
2022年07月31日
汗かき歩いた150回目の秋葉山⑳―赤いキノコ、黄色いキノコ
歩くスピードは相変わらずののんびりペースでしたが、途中での休憩はほとんど取らず、♪チンタラチンタラ♪チンタラチンタラ。下り坂は楽でも、足の滑らせやすさは登り以上。決して大股歩きはできません。
ええ?私を追い抜いて行った女性は、♪サッサ♪サッサと大きな歩幅。とても、追いつけません。
そんな私を足止めしたのは、赤いキノコと黄色いキノコ。正確な名前は分かりませんが、赤いキノコがヒイロタケ(?)で、黄色いキノコがニカワホウキダケ(?)。
第7波の大波がやって来た新型コロナウイルス感染症。信号は赤なのか?黄色なのか?
ええ?私を追い抜いて行った女性は、♪サッサ♪サッサと大きな歩幅。とても、追いつけません。
そんな私を足止めしたのは、赤いキノコと黄色いキノコ。正確な名前は分かりませんが、赤いキノコがヒイロタケ(?)で、黄色いキノコがニカワホウキダケ(?)。
第7波の大波がやって来た新型コロナウイルス感染症。信号は赤なのか?黄色なのか?
2022年07月30日
「いじゃまいかけつか・2022年夏」⑮―閉幕
7月16日(土)17日(日)の2日間にわたって開催された「いじゃまいかけつか・2022年夏」は、午後3時に閉幕。挨拶に立った掛塚屋台囃子保存会会長の松山眞は、私たち「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」の副会長でもあり、日頃から地域づくりの大切さ訴え、「いじゃまいかけつか・2022年夏」を盛り上げるためにあちこちに建てられた行燈は、すべて松山さんの手作りです。
そして、もう1人忘れてはいけない人。それは、マイクを持って司会を務めてくれた水村春江さん。水村さんは掛塚のすぐ隣、白羽のお寺で生まれて育った女性。高齢とは言え、マイクを握ればプロの語り。
そして、もう1人忘れてはいけない人。それは、マイクを持って司会を務めてくれた水村春江さん。水村さんは掛塚のすぐ隣、白羽のお寺で生まれて育った女性。高齢とは言え、マイクを握ればプロの語り。
私たちと同じユニフォームTシャツを着ているのは、「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」に入会してくれたから。もう、私たちの仲間です。
「いじゃまいかけつか・2022年夏」の開催・運営に協力していただいたすべての人に、感謝を申し上げます。本当に、ありがとうございました!
2022年07月30日
雨ときどき晴れの阿蔵(あくら)川沿いの道③―オニヤンマ
阿蔵(あくら)川沿いの道にできた水溜まりの水面に腹部を打ち付けるようにしていたのは、オニヤンマの産卵です。あまりにも激しく動くので、なかなかピントが合った写真が撮れません。
オニヤンマの見分けは大きさも1つですが、緑色の目も特徴的。となると、思い出すのは、山口百恵が歌った『碧色の瞳』の「嫉妬は碧色の瞳をもっているという言葉を知っていますか?」の歌詞。作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の不思議な歌を思い出してしまいます。
オニヤンマが「鬼」と名付けられた理由は、顔が怖いからとのことですが、黄色と黒の縞々模様が鬼が履いている虎柄模様のパンツに似ているからとも。さあ、どっちなんでしょうか?
オニヤンマの見分けは大きさも1つですが、緑色の目も特徴的。となると、思い出すのは、山口百恵が歌った『碧色の瞳』の「嫉妬は碧色の瞳をもっているという言葉を知っていますか?」の歌詞。作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の不思議な歌を思い出してしまいます。
オニヤンマが「鬼」と名付けられた理由は、顔が怖いからとのことですが、黄色と黒の縞々模様が鬼が履いている虎柄模様のパンツに似ているからとも。さあ、どっちなんでしょうか?
2022年07月30日
汗を噴き拭き、青谷の里山を歩く⑪―アキノタムラソウの花の濃淡
青谷(あおや)の里山を歩いたのは、「青谷不動の滝」から「小堀谷鍾乳洞」まで。その途中のあちこちにアキノタムラソウの花穂を見ることができました。
名前に「秋の」と付けられてはいても、アキノタムラソウが咲くのは夏から冬の初めにかけての長い時季。いつでも出会える花です。
花の色は紫色。・・・とは言え、その紫色には濃淡があり、割と濃い紫色もあれば、白っぽい紫色も。お互いにどう思っているのかは分かりませんが、花の色だけでなく、人間の肌の色も、区別や差別の対象にしてはいけないのです!
名前に「秋の」と付けられてはいても、アキノタムラソウが咲くのは夏から冬の初めにかけての長い時季。いつでも出会える花です。
花の色は紫色。・・・とは言え、その紫色には濃淡があり、割と濃い紫色もあれば、白っぽい紫色も。お互いにどう思っているのかは分かりませんが、花の色だけでなく、人間の肌の色も、区別や差別の対象にしてはいけないのです!
2022年07月30日
汗かき歩いた150回目の秋葉山⑲―カキノハグサの花後
そして、下山を開始したのは12時半。標高866メートルの秋葉山でも、暑い暑い暑い。歩くスピードは相変わらずののんびりでしたので、さっさというわけにはいきません。
前回、149回目の秋葉山で出会ったカキノハグサは、すでに花が終わり、実がなっているものもありましたが、カキノハグサの実は柿の実のようには目立ちません。
さらに、弾けた実も。葉の形と花の色は「柿」に似ているカキノハグサですが、実は全然似てはいません。ああ、そろそろ、あごマスクも外したい!
前回、149回目の秋葉山で出会ったカキノハグサは、すでに花が終わり、実がなっているものもありましたが、カキノハグサの実は柿の実のようには目立ちません。
さらに、弾けた実も。葉の形と花の色は「柿」に似ているカキノハグサですが、実は全然似てはいません。ああ、そろそろ、あごマスクも外したい!
2022年07月30日
朝霧高原から霧ヶ峰へ日帰り旅㉖―ニホンジカ
さて、7月2日に出かけた「朝霧高原から霧ヶ峰へ日帰り旅」のレポートは今回で終了。締め括りは霧ヶ峰からの帰り道、ビーナスラインから離れて諏訪市街地に下りる途中で出会ったニホンジカの写真です。
ニホンジカは警戒している様子もなく道路を横切ろうとし、私の車の前でこちらを見ながら立ち止まりましたので、私も車を停めてカメラを構え・・・
すると、何と下からバイクが走って近づき、激しくクラクションを鳴らしました。ニホンジカは急いで林の中に逃げ込みましたので、撮れた写真は1コマだけ。残念でしたが、ニホンジカとの出会いはいい思い出。
多分、このレポートが公開される頃には、再び霧ヶ峰に出かけているはずです。
ニホンジカは警戒している様子もなく道路を横切ろうとし、私の車の前でこちらを見ながら立ち止まりましたので、私も車を停めてカメラを構え・・・
すると、何と下からバイクが走って近づき、激しくクラクションを鳴らしました。ニホンジカは急いで林の中に逃げ込みましたので、撮れた写真は1コマだけ。残念でしたが、ニホンジカとの出会いはいい思い出。
多分、このレポートが公開される頃には、再び霧ヶ峰に出かけているはずです。
2022年07月29日
「いじゃまいかけつか・2022年夏」⑭―福長飛行機写真展
みなさんは、掛塚で飛行機が飛んだことをご存知ですか?「ああ、袖浦(磐田市飛平松)にあった飛行場でしょう?」と、まだまだ勘違いしている人が多いのですが、あれは旧明野陸軍飛行学校天竜分校所。「太平洋戦争の降伏要求文書を運ぶ途中で海岸に不時着した飛行機かな?」。あれは、鮫島に不時着した緑十字機。
掛塚の天竜川河川敷にあったのは、大正10年(1921)設立の福長飛行機製作所。しかも、そこで造られていたのは国産初の旅客機だったのです。
浜名郡飯田村(現浜松市飯田町)出身の福長浅雄が、四郎、五郎の兄弟と一緒に、掛塚で旅客機を造り、試験飛行を繰り返し、大正11年(1922)に完成させた日本初の旅客飛行機が「天竜10号」。今年(2022)はちょうど100周年なんです。
旧津倉家の倉庫で開催したのは「福長飛行機百周年」記念の写真展。掛塚には海の港だけでなく、空の港もあったのです。
掛塚の天竜川河川敷にあったのは、大正10年(1921)設立の福長飛行機製作所。しかも、そこで造られていたのは国産初の旅客機だったのです。
浜名郡飯田村(現浜松市飯田町)出身の福長浅雄が、四郎、五郎の兄弟と一緒に、掛塚で旅客機を造り、試験飛行を繰り返し、大正11年(1922)に完成させた日本初の旅客飛行機が「天竜10号」。今年(2022)はちょうど100周年なんです。
旧津倉家の倉庫で開催したのは「福長飛行機百周年」記念の写真展。掛塚には海の港だけでなく、空の港もあったのです。