› 自然と歴史の中を歩く! › 2018年01月

  

2018年01月31日

1月31日、皆既月食

皆既月食 皆既月食です。

 昼間は雲っていましたので見られないだろうと諦めていたのですが、見られました!
  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 22:01Comments(0)季節の便り

2018年01月31日

凍り付いた滝巡り①―布滝

布滝 「佐久間からの氷の便り」に刺激され、凍り付いた滝を見に北遠へ出かけました。

 一番の氷壁を見せてくれたのは水窪の布滝。布滝と名付けられてはいても、いつもは水量も少なく「糸滝」のようになっていましたので、この美しさは意外です。

布滝 地元の人によれば、これでも「もう、ピークは過ぎたな」とのこと。少し前には、時々氷柱が落ちる音が「ドカン!ドカン!」と響いていたそうです。

 「新・浜松の自然100選」の登録地でもある布滝の名は、もしかしたら結氷した真冬の滝を表現しているのかも知れません。



  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 15:08Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り新・浜松の自然100選・天然記念物

2018年01月31日

下阿多古・市場の秋葉山常夜燈①―ふるさとものがたり天竜「秋葉竜燈」

下阿多古・市場の秋葉山常夜燈 遠州四霊山(秋葉山、観音山、光明山、春埜山)の一つ、秋葉山は、火伏せの神さまとして、昔から多くの人々の、厚い信仰を受けてきた。

 秋葉信仰は、江戸時代中期より急激に普及して、近隣の村々ばかりか、特に火災の多かった江戸などでは、爆発的な人気を呼び、そこここに“秋葉講”という講(こう)が作られた。

 しかし秋葉山は大変に高い山で、その頂上に建つ秋葉寺に詣でるのは大変なことであったため、『秋葉竜燈(りゅうとう)』、または“秋葉常夜燈”と言う燈籠(とうろう)を、村の辻や道ばたに建てて、講の仲間の人々が交代で毎夜明りをともし、講中の安全を祈るようになった。

 その常夜燈が、今でも各地に残されているが、市内に現存する一番立派なものは、下阿多古(しもあたご)市場の、木造の秋葉竜燈である。

 現在はどこの常夜燈も、街燈代わりに、毎夜電気や蛍光燈がつけられている。(「ふるさとものがたり天竜・第4章下阿多古地区」より一部引用)

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 「龍燈」とは、常夜燈の灯りを雨や風から守るために覆った「鞘堂(さやどう)」のこと。中に石造の常夜燈が残っている場合もあるのですが、当初から木造常夜燈として建てられたものの方が多いようです。

 天竜区石神・市場(いちば)の「龍燈」は、文化6年(1809)6月建立とのことですから、今年(2018)で「209歳」。バランスの取れた美しさは、遠州地方だけに点在する「龍燈」の中でも特筆ものです。

  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:39Comments(0)出かけよう!北遠へ歴史・産業遺産・寺社・文化財

2018年01月31日

佐久間・浦川の町歩き⑥―タイル張りの蔵

タイル張りの蔵 石の蔵、土の蔵、板壁の蔵など蔵にはいろいろありますが、浦川で見た蔵はレトロモダンなタイル張りです。

タイル張りの蔵 と言っても、蔵全体を見れば、おそらく木造のコンクリート仕上げであろうと思いますが、腰から下の部分に多角形を組み合わせた青を基調とした化粧タイルが施されています。

タイル張りの蔵 遠目にも美しいタイル張りの蔵は、おそらく大正期か昭和初期の建築。大正9年(1920)の磐田郡浦川村の戸数は807戸、人口は4,018人、昭和10年(1935)には、884戸、4,485人。木材の出荷地やまゆ市場として繁栄していました。

タイル張りの蔵 しかし、大正元年には大火が発生し、132戸を焼失するという災害にも遭っていますので、このタイル張りの蔵は、その火災を見ていたのも知れません。
  

2018年01月31日

東海道岡部宿「柏屋」を訪ねる⑧―漆喰土蔵群と庭園

漆喰土蔵群 岡部宿「柏屋」の裏手にあるのは漆喰土蔵群。土蔵には「ギャラリーなまこ壁」や「和食処 一祥庵」などの店が入り、単なる展示ではなく有効活用。

日本庭園 水琴窟もある日本庭園のこちらには「物産館かしばや」があり、隣接する本陣跡広場には、大きな竹のオブジェが展示され、夜にあるとライトアップされるようです。

本陣広場に展示された竹のオブジェ 江戸時代が終わり、「宿駅制度」が廃止されることによって、「柏屋」を含む岡部宿の環境も大きく様変わり。しかし、今や少し前の時代の雰囲気を伝える資料館を兼ねた観光施設へと生まれ変わりました。

  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:29Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財ウォーキング・ぶらり旅・町歩き

2018年01月31日

浮世絵に描かれた秋葉山④―「五十三次名所圖會 廿七 懸川」歌川廣重

「五十三次名所圖會 廿七 懸川」 歌川廣重と言えば「五十三次」―それほど有名な「東海道五十三次」ですが、実はよく知られた「保永堂版」(天保4年)以後、20以上の「五十三次もの」を描いています。秋葉神社で見た「五十三次名所圖會」は、安政2年(1855)に蔦屋という版元から発行された「竪(たて)絵」と呼ばれているシリーズです。

 その「廿七 懸川 秋葉道 四十八瀬ごえ」とは、森町を流れる三倉川のこと。江戸時代、三倉川のことを四十八瀬川と呼び、一ノ瀬から四十八回瀬を渡って犬居に向かっていました。

 奥に見える黒い山が、おそらくは秋葉山。秋葉詣の旅人たちは懸川(掛川)から三倉川の浅瀬を幾度も幾度も着物の裾をまくって歩いて越え、名にし負う火伏せの霊山、秋葉山へと向かったのでしょう。

 苦が多ければ多いほど、きっとご利益も多いはず。当時、各地で生まれた秋葉講の代表者は、講中の安全のためのお札を受けに、ただひたすらに秋葉山を目指したのでした。

 【関連記事】浮世絵に描かれた秋葉山①―「掛川秋葉山遠望」歌川廣重
  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:26Comments(0)秋葉山・AKG(秋葉観光ガイド)古い絵葉書・昔の写真・浮世絵

2018年01月31日

冬には冬の秋葉山④―霜柱

霜柱 霜柱が多く見られるのは表参道の脇。地面を盛り上げるように凍り付いた霜柱もあれば、路肩の斜面から垂れ下るように伸びた霜柱も見られます。

霜柱 霜柱とは地中の水分が毛細管現象によって地表に浸み出し、柱状に凍結したもの。地面を盛り上げている霜柱は、そんな原理で出来上がったものですが、横から伸びているのは、路肩から浸み出す水が凍り付いたもの。

霜柱 跪いて観察すると、まるで小さな氷柱みたい。これを霜柱と呼んでよいのかどうかは疑問ですが、鷹の爪のようなものも。それにしても、自然の造形は人間の造形を遥かに越えているのは確かなようです。

 
 
  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:22Comments(0)秋葉山・AKG(秋葉観光ガイド)

2018年01月30日

原田橋崩落事故あす3年 観光、生活に影

新しい原田橋の建設現場では橋脚の設置工事が進む19年度に新橋完成 仮設道路頼み

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる原田橋が崩落し、市職員2人が犠牲になった事故から31日で3年。橋の再建には時間がかかり、いまも住民は町の東西を仮設道路で行き来する。大雨時は通行止めの不便を強いられ、地域の経済や観光にも影響を及ぼしている。

 愛知県東栄町に接する山あいの同町浦川地区。「離れた人は知っているだけでも四軒ある」。家族経営のスーパーで働く男性店員(37)は明かす。交通の不便さなどから二俣、浜北方面への転居が相次ぎ、住民の流出が進んでいる。

 スーパーは、対岸の4キロほど離れた佐久間病院に食材や介護用品のおむつを配達している。仮設道路が不通の際は同区龍山町方面の山道を走り、二時間かけて届けることも。「輸送コストがかかり、時間も読めない」。対岸から商品の仕入れが止まることもある。

 天竜川の両岸は河川敷を走る1.2二キロの仮設道路が結び片側交互通行が続く。大雨で2~2.5メートルほど水位が上がると沈むため、たびたび通行止めになる。昨年は一昨年の半分以下と少ないが、5回(12.5日)あった。町内を走るJR飯田線の便も少ない。同地区の女性(50)は、夫と長女の通勤通学先が対岸にあり「梅雨や大雨の時はどきどきする」と話す。

 崩落に伴う「風評」は観光に影響している。佐久間のイベントは愛知県側からの来場者も多いが、仮設道路を知らない人も。天竜区観光協会佐久間支部の事務局長邑瀬(むらせ)三男さん(66)は「あそこは通れるんですか、という問い合わせがいまだにある」と残念がる。

 事故初年の10月の「佐久間ダム竜神まつり」は例年に比べて来場者数が4割近く落ち込み、回復には至っていない。行楽シーズンは台風到来にも気をもむ。邑瀬さんは「旅館や土産物店にも町外からの足が向かなくなり、疲弊している。いまは早く安全な橋をつくってほしい」と訴える。

原田橋 新橋は事故現場の200メートル下流に建設中で、2019年度中に供用開始する計画。現在は両岸で橋脚工事が進む。崩落から新橋の完成まで5年。区協議会委員で同地区の広野勝也さん(73)は、住民の思いを「あきらめムード」と代弁する。昨年春に佐久間高校が浜松湖北高校佐久間分校になり、将来の存続を心配する。転出者には子育て世代も目立ち「空き家と高齢者ばかり増えていくのを憂慮している」と話した。

 原田橋の崩落事故 2015年1月31日午後5時10分ごろ、浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる国道473号のつり橋、原田橋(長さ138メートル、幅5メートル)が崩落。右岸の斜面が高さ70メートル、幅30メートルにわたり崩れた衝撃により橋げたごと落ちた。当時橋の上で斜面の落石を監視していた市天竜土木整備事務所の安野彰恭さん=当時(57)、茶谷富士雄さん=同(45)=が亡くなった。(「中日新聞」より)


 とにかく、新橋が完成まで待つしか方法はありません。地域を元気にするため、せめて私はせっせと佐久間に通うつもりです。


 【関連記事】原田久吉翁の面影を探る①―名望家
  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 10:41Comments(0)北遠のニュース暮らし・移住・交流国道473号(原田橋)河川内仮設道路

2018年01月30日

コショウ科コショウ属、フウトウカズラの赤い実

フウトウカズラ 常緑のつる植物で赤い実をつけていますので、出会えばすぐに気づきます。これは、コショウ科コショウ属のフウトウカズラ。「封筒蔓」ではなく「風藤蔓」です。

 龍山の道路脇で見かけたのですが、この実はコショウのように辛いのでしょうか?このフウトウカズラの実を見るようになれば、春はもうすぐそこのはずなんですが・・・
  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:30Comments(0)野の花・植物

2018年01月30日

佐久間・浦川の町歩き⑤―旧浦川郵便局

旧浦川郵便局 円光寺の隣り、現在は浦川団地の集合住宅が建つ場所は、かつて浦川役場だった場所。「町営住宅 浦川団地」の金属プレートが嵌め込まれている石柱は、役場時代のものを利用したようなレトロなスタイルです。

 圓光寺の隣りのレトロな洋風木造建築は、大正2年(1913)に建てられた旧浦川郵便局。どこかに逓信マーク「〒」が残されていないか探してみましたが、鬼瓦の飾りも「水」の字。玄関はオシャレな頬杖や透かし彫りで飾られてはいましたが、「〒」マークは見つかりませんでした。

玄関ポーチの化粧タイル 玄関ポーチの足元は、レトロモダンな雰囲気のタイル張り。外装にタイルを使っているのも、よく見かける浦川の特色です。

 化粧タイルの主な生産地は愛知県常滑市であり、愛知県との交流が盛んだった浦川では、旧浦川郵便局の玄関を飾る化粧タイルを含め、その時代の流行だったのかも知れません。

 【関連記事】佐久間・浦川の町歩き①―JR浦川駅「浦川停車塲」