› 自然と歴史の中を歩く! › 2021年12月
2021年12月31日
サヨナラ!丑年
令和3年(2021)も大晦日。写真は12月4日に孫たちと出かけた「しばちゃんち」柴田牧場のジャージー牛たち。おいしいソフトクリームをいただきながらも、何となく寂しい気持ちに。
丑年とは、今日(12月31日)でお別れです・・・
丑年とは、今日(12月31日)でお別れです・・・
2021年12月31日
春野「ふるさと少年少女教室」と一緒に秋葉山へ⑫―雪か?霜か?
尾根道を少し歩くと、表参道脇に白い氷の結晶のようなものが目に留まりました。これは、雪でしょうか?それとも、霜でしょうか?
可能性としてはどちらもありましたが、顔を近づけて見ると六角柱状結晶のような形。私としては「雪!」と言ってしまいたかったのですが、「霜」だったのかも知れません。
いやいや、もしかしたら残雪が凍結した結晶の可能性も。どちらかと言うと、「雪だよ!」と言い切ってしまいたいところでした。
可能性としてはどちらもありましたが、顔を近づけて見ると六角柱状結晶のような形。私としては「雪!」と言ってしまいたかったのですが、「霜」だったのかも知れません。
いやいや、もしかしたら残雪が凍結した結晶の可能性も。どちらかと言うと、「雪だよ!」と言い切ってしまいたいところでした。
2021年12月30日
令和4年の干支「寅」を探しに静岡浅間神社へ⑥―久能山東照宮
そして、これはおまけですが、久能山東照宮にも虎がいました。
写真は今回撮影したものではなく、平成31年(2019)1月3日に初詣に訪れた時のもの。ここにも徳川家康ゆかりの虎の彫刻があるのではないかと思い、探してみたらあったのです。
虎がいたのは、社殿を取り巻く透塀の下部。機会がありましたら、探してみてください!廟門の左手です。
写真は今回撮影したものではなく、平成31年(2019)1月3日に初詣に訪れた時のもの。ここにも徳川家康ゆかりの虎の彫刻があるのではないかと思い、探してみたらあったのです。
虎がいたのは、社殿を取り巻く透塀の下部。機会がありましたら、探してみてください!廟門の左手です。
2021年12月30日
春野「ふるさと少年少女教室」と一緒に秋葉山へ⑪―光る太平洋と船
送電線鉄塔の休憩所を過ぎ、少し上がったところから振り返ると、はるか彼方に金色に輝く太平洋の海面が見えます。「あれは遠州灘だよ!太平洋だよ!」。
かつての周智郡春野町は平成17年(2005)、浜松市に編入合併し、浜松市天竜区春野町となりましたが、海に面しているわけではありません。そんな立地に暮らす「ふるさと少年少女教室」の子供たちにとって、海を見る機会は決して多くありません。
しかも、ここからなら太平洋を往来する船の姿だって見えるのです。光る海面に見える影は、タンカーか貨物運搬船。国内輸送の約4割は、今も海運が担っているのです。「分かりましたか!?」。
かつての周智郡春野町は平成17年(2005)、浜松市に編入合併し、浜松市天竜区春野町となりましたが、海に面しているわけではありません。そんな立地に暮らす「ふるさと少年少女教室」の子供たちにとって、海を見る機会は決して多くありません。
しかも、ここからなら太平洋を往来する船の姿だって見えるのです。光る海面に見える影は、タンカーか貨物運搬船。国内輸送の約4割は、今も海運が担っているのです。「分かりましたか!?」。
2021年12月29日
中日新聞に「うめたちあき」さんが登場!
◆友の縁つむぐ歌を 県西部の情景や人の営みつづる作詞家シンガー
友の縁つむぐ歌を うめた ちあきさん(52)
遠州のお気に入りの場所の情景や人の営みを歌詞にして、共通のメロディーを付けた「うた絵巻」を歌う作詞家シンガー。「私の歌で、違う場所に住む人たちが友達のように仲良くなってくれたらうれしい」と、今日もどこかでふるさとの歌を口ずさむ。
高校時代から文学少女だった。2011年の全国ゆずり葉音楽祭の作詞作曲の部で入賞したのが縁で、日本童謡協会に入会。当初は童謡を書いていたが、ふるさとの神社を詣でた際に「私の仕事は地元の詞を書くことなのでは」と思い立った。
これまで浜松市内の中田島砂丘や県立森林公園、磐田市掛塚などの14地区を作品に。何度も現地に足を運んで作詞し、その地にイベントを手伝ったり、出掛けて歌ったりして交流している。
磐田市田原交流センターの水車をテーマにした「田原水車の里うた」は、CDにして500円で販売中だ。浜松市東区。(中日新聞「おはよう」より)
◆ ◆ ◆ ◆
うめたちあきさんは、私たち「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」のメンバーとしても活躍。「掛塚のうた」や「福長飛行機ものがたり」を歌ってくれています。私たちはいつでも生歌を聴くことができます。来年(2022)は新型コロナを終息させ、うめたさんに歌っていただく機会を増やしたいですね。
友の縁つむぐ歌を うめた ちあきさん(52)
遠州のお気に入りの場所の情景や人の営みを歌詞にして、共通のメロディーを付けた「うた絵巻」を歌う作詞家シンガー。「私の歌で、違う場所に住む人たちが友達のように仲良くなってくれたらうれしい」と、今日もどこかでふるさとの歌を口ずさむ。
高校時代から文学少女だった。2011年の全国ゆずり葉音楽祭の作詞作曲の部で入賞したのが縁で、日本童謡協会に入会。当初は童謡を書いていたが、ふるさとの神社を詣でた際に「私の仕事は地元の詞を書くことなのでは」と思い立った。
これまで浜松市内の中田島砂丘や県立森林公園、磐田市掛塚などの14地区を作品に。何度も現地に足を運んで作詞し、その地にイベントを手伝ったり、出掛けて歌ったりして交流している。
磐田市田原交流センターの水車をテーマにした「田原水車の里うた」は、CDにして500円で販売中だ。浜松市東区。(中日新聞「おはよう」より)
◆ ◆ ◆ ◆
うめたちあきさんは、私たち「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」のメンバーとしても活躍。「掛塚のうた」や「福長飛行機ものがたり」を歌ってくれています。私たちはいつでも生歌を聴くことができます。来年(2022)は新型コロナを終息させ、うめたさんに歌っていただく機会を増やしたいですね。
2021年12月29日
令和4年の干支「寅」を探しに静岡浅間神社へ⑤―冠雪の霊峰
とても先までは行けませんでしたが、賤機山ハイキングコースへと続く100段の階段を上った先に鎮座している麓山(はやま)神社の脇を抜け、浅間山山頂のちょっと手前まで歩いてきました。
そして、途中で北東の方角に見えるのは富士山。これが、浅間(あさま)神社の御神体。令和4年(2022)の干支、「寅」を探しに出かけた静岡浅間神社で、初富士ではありませんでしたが、令和3年(2021)を締め括る縁起の好い冠雪の霊峰を眺めることができました。
そして、途中で北東の方角に見えるのは富士山。これが、浅間(あさま)神社の御神体。令和4年(2022)の干支、「寅」を探しに出かけた静岡浅間神社で、初富士ではありませんでしたが、令和3年(2021)を締め括る縁起の好い冠雪の霊峰を眺めることができました。
2021年12月29日
春野「ふるさと少年少女教室」と一緒に秋葉山へ⑩―送電線鉄塔の休憩所
送電線鉄塔の休憩所とだけしか言わなければ、ついつい通り過ぎてしまう人が多いのかも知れません。でも、ここが秋葉山表参道の中では最高の富士山ビューポイントなんです。
送電線の下の木々は伐採されていますので、視線を遮るものはありません。東の方角を見れば、そこには、つい先ほど見たばかりの真っ白な雪を頂いた富士山が見えるはず・・・
・・・でしたが、富士山の山頂付近には雲がかかってしまい、美しい冠雪の霊峰を見ることができません。きっと、あの雲は雪雲。富士山では雪が降っていたに違いありません。
送電線の下の木々は伐採されていますので、視線を遮るものはありません。東の方角を見れば、そこには、つい先ほど見たばかりの真っ白な雪を頂いた富士山が見えるはず・・・
・・・でしたが、富士山の山頂付近には雲がかかってしまい、美しい冠雪の霊峰を見ることができません。きっと、あの雲は雪雲。富士山では雪が降っていたに違いありません。
2021年12月28日
令和4年の干支「寅」を探しに静岡浅間神社へ④―八千戈神社
浅間神社のすぐ西側に境内社として祀られているのが八千戈(やちほこ)神社です。八千戈神社の蟇股を飾るのは二十四孝の彫刻。正面の右側にあるのが「楊香(ようこう)」の彫刻です。
楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。(フリー百科事典「Wikipedia」より)
この逸話を彫ったのが八千戈神社の虎。ここでも、家康の寅年生まれが関わっているのかも知れません。
楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。(フリー百科事典「Wikipedia」より)
この逸話を彫ったのが八千戈神社の虎。ここでも、家康の寅年生まれが関わっているのかも知れません。
2021年12月28日
春野「ふるさと少年少女教室」と一緒に秋葉山へ⑨―富士見茶屋跡と子安地蔵
表参道は最初の富士山ビューポイント辺りで尾根道に出ますので、坂道の傾斜はややなだらかに。しばらく歩くと、廃屋となり崩れかけた富士見茶屋が見えて来ます。
富士見茶屋は、かつては数軒が営業していた表参道で最後まで残っていたただ一軒の休憩所。この辺りが、表参道の中間地点。今もここに茶店があれば、絶対に一服したくなるはずです。
そして、その先には二の鳥居跡があり、次の目印は子安地蔵。ここで腰をおろして一服している小中学生もいましたが、あと少し歩けば送電線鉄塔の休憩所です。
富士見茶屋は、かつては数軒が営業していた表参道で最後まで残っていたただ一軒の休憩所。この辺りが、表参道の中間地点。今もここに茶店があれば、絶対に一服したくなるはずです。
そして、その先には二の鳥居跡があり、次の目印は子安地蔵。ここで腰をおろして一服している小中学生もいましたが、あと少し歩けば送電線鉄塔の休憩所です。
2021年12月27日
令和4年の干支「寅」を探しに静岡浅間神社へ③―少彦名神社
浅間神社の東側に境内社として祀られているのは少彦名(すくなひこな)神社。もともとは薬師如来を祀る薬師堂だったのが、明治時代の神仏分離令によって少彦名神社とされたのだそうですが、蟇股を飾る十二支の彫刻が有名です。
正面右側を虎の彫刻が飾っています。少彦名神社と虎との関係はないようですから、この虎は間違いなく寅年生まれの徳川家康を慮っての配置。
少彦名神社も塗り替え工事が完了し、蟇股の虎は金色に輝いていました。絵馬に描かれていた虎は、この虎だったみたいです。
正面右側を虎の彫刻が飾っています。少彦名神社と虎との関係はないようですから、この虎は間違いなく寅年生まれの徳川家康を慮っての配置。
少彦名神社も塗り替え工事が完了し、蟇股の虎は金色に輝いていました。絵馬に描かれていた虎は、この虎だったみたいです。