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2017年06月13日

諏訪立川流が好んだ「力神」③―静岡浅間神社楼門

 静岡市葵区に鎮座する静岡浅間(あさま)神社の建築には初代立川和四郎冨棟、二代冨昌、三代冨重や弟子一門が携わり、立川流を代表する建築の1つ。神部(かんべ)神社・浅間神社の楼門に、「力神(りきじん)」の彫刻を見ることができます。

浅間神社楼門の力神
浅間神社楼門の力神
浅間神社楼門の力神
浅間神社楼門の力神

静岡浅間神社楼門 4人の「力神」は、楼門の梁を力を振り絞って支えていますが、正面向かって右の1人だけは口を半開きにした阿形であり、残りの3人は歯を喰いしばった吽形に見えます。獅子の背に乗っているところは秋葉神社随身門で見る「力神」と同じ。でも、秋葉神社の「力神」は片手と肩で梁を支えているのですが、静岡浅間神社楼門では両肩と背に梁を乗せ、正面を見据えるうような形相です。

 この重厚と言う表現がぴったりの楼門を見上げれば、諏訪立川流一門の極限の技が随所に見られます。もちろん、力を分散することにより重い二層の屋根を支える複雑な木組にこそ、宮大工としての真骨頂を見るべきなのだとは思ますが、装飾として施された各部の彫刻に、諏訪立川流の技術の高さと立川の名を世に知らしめるためのPR効果を狙った意図も感じられます。

 その成果は、その後の諏訪立川流一門の隆盛を見れば明らか。幕末から明治期にかけて、遠州や愛知県半田の祭り屋台にまで仕事の依頼が殺到し、今でも私たちの近くでも諏訪立川流の傑作を見ることができるのは、そのためでもあるのです。





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