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2024年05月11日

初夏の自然を訪ねて富幕山へ②―ギンリョウソウ

ギンリョウソウ 富幕山(とんまくやま)で出会った「ぎんさん」は、ギンランだけではなく、ギンリョウソウも。しかも。その数の多さにビックリでした。ギンリョウソウは、見た目の通り葉緑素はなく、菌類から栄養分を得て生長している腐生植物。・・・にも関わらず、分類上はツツジ科とは?はて?

ギンリョウソウ 富幕山を歩けば、ギンリョウソウは探さなくてもすぐに見つけられます。ギンリョウソウが多く生育しているのは、富幕山の自然が豊かな証拠。ギンリョウソウ(銀竜草)とは銀色の竜に例えられ名付けられましたので、今年(2024)の干支「辰」とも無縁ではありません。


  

2024年05月11日

新緑の北遠を♪グルリ⑤―桐?ジャカランダ?

桐?ジャカランダ? 佐久間町上平山で出会ったよく似た花―すぐそばに寄り添うようにして高く育ち、花の色は白と水色。「白い花がジャカランダで、水色の花が桐」と言いたいのですが、もしかしたらどちらもジャカランダかも知れないし、どちらも桐かも知れません。

桐?ジャカランダ? 桐は中国原産のキリ科キリ属で、ジャカランダは南米原産のノウゼンカズラ科。日本にやって来た時代には大きな差がありますが、皇室の家紋にも使われている桐が外来種とは驚き。生物の世界の国際化って、昔から行われていたんですね?

桐? 野田で出会ったこの花は、桐かも知れません。まあ、「かも知れません」ですけどね。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:01Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物

2024年05月11日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り⑥―「中央構造線断層谷観察地」

「中央構造線断層谷観察地」からの風景 佐久間町から水窪町へと抜ける道は国道152号が一般的ですが、今回の私は県道290号水窪羽ケ庄佐久間線を通り、二本杉峠、ホウジ峠を越えて芋堀(いもほり)へ。途中、二本杉峠の手前に「中央構造線断層谷観察地」とされる場所があり、ここからは中央構造線のケルンコル(断層谷)に位置する下平(しもったいら)や峰の集落が見下せます。

「中央構造線断層谷観察地」の茶園 そして、ここの斜面にも茶園が。決して広い茶園ではありませんが、畝で植えられていたり、畝ではなかったり。普段はあまり気づかない茶園風景ですが、もしかしたら、見上げれば下からも見えていたのかも知れません。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:58Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り地質・地形・岩石

2024年05月11日

180回目の秋葉山⑧―イズセンリョウの実とアリドオシの花

イズセンリョウの実 花が咲いていても、実が成っていても、毎度、毎度、気になるイズセンリョウの木。冬の間は白い実が成り、春になって花を咲かせていたかと思ったら、もう緑色の実がなっていました。株によって実の大きさにはまだ差がありますが、イズセンリョウにはお休みする時季などないのです。

アリドオシの花 すぐ隣りにはアリドオシの白い花も。アリドオシの花は雄花と雌花が2輪ずつ咲く異性花と信じていたのですが、実はそうでもなさそう。私が勘違いしていたみたいで、2輪の花の子房が合着するのはツルアリドオシだけ。

 それにしても、アリドオシの細くて長い棘は危険!うっかり、触ったりしないでください!



  

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2024年05月11日

目で見る掛塚の防災⑯―掛塚灯台

掛塚灯台 遠州灘に面した磐田市駒場に立つ真っ白な灯台―天竜川河口に広がる遠浅の遠州灘を往来する廻船の難破を防ぐため、明治 30 年(1897)3月、官営灯台として完成した灯台が、今も残る掛塚灯台です。

防潮堤と掛塚灯台 建設当時の掛塚灯台があった場所は、もう少し浜に近い場所だったのですが、平成14年(2002)3月、海上保安庁によって現在地の「海洋公園」南側に移設。現在は防潮堤の上に立ち、遠州灘を往来する船の安全な航行を見守っています。

マンホールの蓋 掛塚灯台の前身は、旧幕臣であった荒井信敬によって建設され、「改心灯台」とも呼ばれた私設の木造灯台。「荒井信敬翁之壽碑」は防潮堤工事のため撤去されてしまいました。

 掛塚灯台はマンホールの蓋にもデザインされ、旧竜洋町のシンボルであり続けています。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。


  

2024年05月10日

初夏の自然を訪ねて富幕山へ①―キンランとギンラン

キンラン 初夏の富幕山(とんまくやま)を歩いたのは5月9日―その目的は、野に咲く「きんさん、ぎんさん」に会いたかったから。「きんさん」はキンラン(右の写真)、そして「ぎんさん」はギンラン(左下の写真)。キンランは群生してはいませんでしたが、あちらこちらで花を咲かせていましたので、探すまでもなく出会うことができました。

ギンラン ところが、出会うことができた「ぎんさん」のギンランは、たったの1株だけ。調べてみると、キンランは北海道を除く45都府県で「絶滅危惧種」の指定を受け、環境省レッドリストでも「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」の指定を受けていますが、ギンランは39府県で「絶滅危惧種」。

 ギンランよりもキンランの方が少ないのかと思ってしまいますが、なぜかギンランと出会うことの方が少ないような気がします。どうしてでしょうか?

 【関連記事】初夏の自然を訪ねて富幕山へ②―ギンリョウソウ


  

2024年05月10日

新緑の北遠を♪グルリ④―ノイバラとクレソン

ノイバラ この日(5月5日)の北遠ドライブは、「新緑の北遠を♪グルリ」と「『八十八夜』過ぎの茶園巡り」の二刀流。道の駅「花桃の里」の周辺を♪ブラリと歩いた時に出会った、青い空を背景にした白い花。バラと言うと、ついアメリカやヨーロッパなどを連想してしまいがちですが、ノイバラは日本原産の野生のバラです。

クレソン クレソンは、ヨーロッパ、中央アジア原産のもちろん外来種。ほとんどの日本人はクレソンと呼んでいると思いますが、正式な和名は「オランダガラシ」。日本にやって来たのは、明治の初め頃。当時の日本では、「オランダ」と名づけるのが、ヨーロッパ原産らしい名付けだったのでしょうか?



  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:29Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物

2024年05月10日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り⑤―舟代を見上げる

舟代の茶園 この日、舟代(ふなよ)の茶園を見上げてみようと思い、グルリと下道を回って歩いてみました。もちろん、上から見下ろした方が全体を広く見ることができるのですが、茶畝に近い道を歩くのは、さらに「初夏」を感じられる楽しさ。

舟代の茶園 なだらかに傾斜している茶畝と石積みで段差を造った茶畝もあり、傾斜面の歪みに合わせて、向きを微妙に変えた畝もあります。それでも、畝の幅がほぼ一定なのは二人用茶刈機を使っているからかも知れません。

対岸の茶園 そして、再び車を止めた上の道に戻り、天竜川の対岸、右岸側にも茶園が見えました。ここは、多分龍山町尾曲付近。急傾斜に石段を積んで1段に2列づつ茶畝を作り、坂道と点在する住宅を見ることができましたので、これも北遠の里山らしいほっこりする風景。

 天竜川両岸の山の斜面は、川霧が立つことで陽射しを和らげ、香りの高くて美味しいお茶を育てることができる茶の栽培に適した自然環境なのです。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:27Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り

2024年05月10日

180回目の秋葉山⑦―ウツギとガクウツギ

ウツギ 「180回目の秋葉山」のレポート(絵日記?)も、そろそろ表参道の山道に入らなければいけないのですが、申し訳ありません!もう1回だけ待ってください!だって、ウツギ(右の写真)とガクウツギ(左下の写真)の白い花が季節の訪れを告げていたのですから、ちょっと足を止めないわけにはいきません!

♪卯の花の 匂う垣根に
 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ


ガクウツギ 私たちの世代なら誰もが知っている、佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の『夏は来ぬ』の歌詞。歌詞の最初「卯の花」とはウツギのこと。旧暦の4月を「卯月」と呼ぶのは「卯の花」が由来で、「卯の花が咲く月」であることから「卯月」。2024年の新暦では5月8日~6月5日が「卯月」に当たります。

秋葉山表参道 ・・・と知ったかぶりのコメントをすれば、さあ、いよいよ表参道の山道です。遥か前方に写っている2人連れは、道草をしている私を追い抜いて行った人たち。今回も、こうして次々と追い越されてしまいました。



  

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2024年05月10日

目で見る掛塚の防災⑮―「外人墓地」と「弥之助地蔵」

 みなさんは、掛塚の南にある「駒場霊園」のすぐそばに、「外人墓地」と「弥之助地蔵」があるのをご存知ですか?

「外人墓地」 「外人墓地」とは・・・

 安政六年(一八五九)の冬、アメリカのニンフ号(妖精)という大型船が掛塚の沖で座礁しました。大波のなか八人がボートに乗ってきたため、駒場の人たちは懸命に救助活動をして三人は助けましたが、五人はなくなってしまいましたので砂浜に埋葬しました。
 また、船に残っていた十二人を助け出し、中泉代官の指示のもとに世話をし、掛塚湊の廻船問屋・林文吉の船で助かった十五人とすべての積荷を横浜に送り届けました。


「弥之助地蔵」 そして、「弥之助地蔵」とは・・・

 天明二年(一七八二)、駒場海岸に流れ着いた十二人の遺体を村人たちがねんごろに葬り、石地蔵を造立して弥之助地蔵と呼んだ。
 ある時、何者かが地蔵の首を欠いて傍らの弥之助池に投げ込んだ。後に農夫が見つけ、猶次郎という者がそれを首なし地蔵の際に置いたところ、娘が毎夜、首なし地蔵の夢にうなされた。
 猶次郎は村人と相談して石工に首級を継いでもらって追善供養をした。すると娘の病もなおったという。


 どちらも、遠州灘の掛塚湊近くで起きた災害を語り継ぐ逸話。遠浅の遠州灘は、岸に近づくほど波が高くなる海の難所。日々の天気だけでなく、風向、風速と波の高さ、満潮時と干潮時との海面の高さの差などを知ることが、船の運航には欠かせない防災情報だったのです。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。

  

2024年05月09日

新緑の北遠を♪グルリ③―スジグロチョウとクマガイソウ

「瀬尻の段々茶園」 天竜川左岸、佐久間町上平山のお茶は傾斜地に等高線のように植えられ畝を作っているのですが、「瀬尻の段々茶園」のお茶は、棚田などと同じように石垣を積んで階段状にした平地に植えられています。

 積み上げられている石の多くが瀬尻の石だと聞いていますので、地質図で確認すると「Sm 苦鉄質片岩」「Sp 泥質片岩、砂質片岩を伴う」など。薄く剝れるように割れた石を、1枚1枚人々の手によって積み上げて出来上がったのが「瀬尻の段々茶園」なのです。

スジグロチョウ そんな石垣にやって来たのはスジグロチョウ。まさかとは思いますが、石垣の模様が自分の翅の模様と似ているから、目立たないだろうと思っていたのかも知れません。まあ、聞いてみたわけではありませんけどね。

クマガイソウ 「瀬尻の段々茶園」にはクマガイソウの自生地もあるのですが、もう花は終わり。「熊がいそう」でなくて良かったです。



  

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2024年05月09日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り④―舟代

舟代の茶園 毎年、茶園が新茶の色に変わるこの時季に、一番行きたくなるは佐久間町上平山舟代(ふなよ)。斜面の傾斜は比較的なだらかで、茶畝はほぼ等高線の向きに並び、その広さは北遠一かも知れません。ほぼ毎年のように訪れていますが、何度見ても美しい茶園風景にはほっこりとさせられます。

舟代の茶園 茶刈りはほぼ終了しているようでしたが、まだ、茶摘みの姿も見られましたので、刈り残しや遅れ芽を摘んでいたのかも知れません。私の実家にも茶畑がありましたので、私だって数年前までは茶摘みは毎年の仕事。

 茶刈り、茶摘みは短期間に終わらなければいけませんから、この時季には実家を離れた家族も帰省し、茶農家はちょっとした楽しい賑わい。舟代でも子供たちのはしゃぐ声も聞こえ、前日(5月4日)には、マイクロバスで茶摘み体験の子どもたちもやって来たとのこと。

舟代の茶園 ただ、ちょっと違うのは、私たちは「茶畑(ちゃばた)」と呼んでいましたが、平坦地の少ない北遠では「茶ばら」と呼ぶ人が多いようです。それにしても、傾斜地での茶刈り、茶摘みは、疲れるでしょうね?


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:46Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り

2024年05月09日

180回目の秋葉山⑥―コミスジとスジグロチョウ

ヒメツルソバとコミスジ まあ、いつものことですから、石畳の坂道を脇目もふらずにドンドン登って行くなんて、私自身も信じていたわかではありません。いつものように道草をしながら秋葉山に登るのが、私の秋葉山登拝。この日だって、次々追い抜かれたのですが、今さら気にしたって仕方がありませんね。

 途中、秋葉沢の向こう側、ヒメツルソバの茂る中にコミスジが止まっているのに気づいてしましましたので、カメラを構えてレンズで拡大して♪カシャ。

セイヨウジュウニヒトエとスジグロチョウ セイヨウジュウニヒトエの花は終わりかけていましたが、そこに止まっていたのはスジグロチョウ。拡大してしまうとウスバシロチョウのようにも見えてしましますが、ウスバシロチョウはアゲハチョウ科でスジグロチョウはシロチョウ科。蝶たちはお互いにその違いに気づいているのでしょうか?

 こんなことを言うと、「お前に言われたくない!」と叱られてしまうかも。私は、もうすぐ73歳の誕生日を迎える高齢者ですからね。



  

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2024年05月09日

目で見る掛塚の防災⑭―大日本帝国水難救済会掛塚救難所

「大日本帝国水難救済会掛塚救難所」の標識と看板 今回紹介するのは、掛塚の防災の歴史。それは、遠州灘を往来する船。太平洋へ天竜川が流れ込む遠州灘は浅瀬が多く、また、台風などの強風によって船の難破なども多く発生していたのです。

「大日本帝国水難救済会掛塚救難所」の古い写真 「大日本帝国水難救済会掛塚救難所」の標識と看板とが建てられているのは、遠州大橋東の国道150号掛塚バイパス下(掛塚蟹町)。かつては天竜川と東派川との合流地でもあり、廻船が多く停泊していた掛塚湊があったのは、この辺りでした。

 解説看板によれば・・・

「大日本帝国水難救済会掛塚救難所」の古い写真 掛塚港に出入りする船や付近を航海する船の水難救助のために設置されたもので、明治三二年(一八九八年)九月一〇日に開所式が挙行された。
 明治二六年、元知事小松原英太郎の提言により、地元廻船業者の満場一致の賛同を得て設置願を提出した。明治三二年、建設委員が任命され、開所したものである。
 初代所長に加藤猪之吉氏、救助夫長に中西善三郎氏、看守荒井信敬氏が任命された。
 以後日夜看視にあたり多くの実績を残している。
 明治三四年一月風雨強く、激浪の中、座礁した本町岩間喜一郎氏の持船喜興丸を救助している。


 ・・・とあり、実績も残されています。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。

  

2024年05月08日

新緑の北遠を♪グルリ②―ヤマブキとタケノコ

ヤマブキ 「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」で知られるヤマブキですが、北遠に自生するヤマブキはほぼ一重。オレンジ色の花はあちたこちらで咲いていましたが、この日見たのは一重咲きだけ。もしかしたら、八重咲きのヤマブキの方が開花が早かったのかも知れません。

タケノコ 「まさか?」と驚いたのは、「瀬尻の段々茶園」へ登る道の途中で顔を出していた大きなタケノコ。近くに生えていた竹はすべて孟宗竹でしたので、この多分タケノコも孟宗竹。しかし、もう掘って食べるには育ち過ぎて硬かったはず。

「瀬尻の段々茶園」 それにしても、「瀬尻の段々茶園」の急傾斜はかなりの角度。もしも、もしも足を滑らせて転がり落ちたとしたら、そのまま天竜川にドボン♪。怖さを感じるこの茶園で、茶摘みをするなんて私には無理無理!あなたなら、どうですか?


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:11Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物