2018年07月06日
袋井・可睡斎を訪ねて①―総門の干支恵方盤
私が登り続けている秋葉山と袋井の可睡斎との間には、深い歴史が横たわっています。明治6年(1873)、神仏分離令に伴い秋葉三尺坊大権現が遷座された先が可睡斎。総門の柱には掲げられた「秋葉三尺坊大権現御本躰鎮座道場」の木札が、その歴史を伝えているのです。
「御本躰」とは、神社でいう「御神体」に当たるもの。つまり、秋葉山から「御本躰」を移したことが「遷座」の意味。そんなことを考えながら、ふと総門の天井を見上げると「干支恵方盤」が吊るされているのが目に入りました。
2018年の恵方は、針が示すように「南南東のやや南寄り」。「巳」の絵の描かれた方角のようで、「濱松ェ・・・」の文字が見えます。今年の干支「戌」が描かれたところには「豊川ェ十七里」と書かれているような。
「御本躰」とは、神社でいう「御神体」に当たるもの。つまり、秋葉山から「御本躰」を移したことが「遷座」の意味。そんなことを考えながら、ふと総門の天井を見上げると「干支恵方盤」が吊るされているのが目に入りました。
2018年の恵方は、針が示すように「南南東のやや南寄り」。「巳」の絵の描かれた方角のようで、「濱松ェ・・・」の文字が見えます。今年の干支「戌」が描かれたところには「豊川ェ十七里」と書かれているような。
秋葉山は寅の方角。「秋葉山ェ九里」となっているのは、秋葉山表参道起点である「九里橋」へは、掛川宿、浜松宿からだけではなく、袋井宿からも「九里」。どうやら、「干支恵方盤」は遠路はるばる訪れた参拝客への観光案内にもなっていたようです。