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2024年05月12日

初夏の自然を訪ねて富幕山へ③―ニガナとハナニガナ

ニガナ 富幕山(とんまくやま)に咲いていた黄色いキク科の花は、ニガナ(右の写真)とハナニガナ(左下の写真)です。分かりやすい違いは、舌状花の数。舌状花の数が5枚なのがニガナで、8枚以上あればハナニガナ。隣り合って咲いていましたが、舌状花の数が5枚と8枚でしたので、ニガナとハナニガナと判断しました。

ハナニガナ しかし、ニガナとハナニガナの関係は複雑。そもそも、ハナニガナの変種とされているのはシロバナハナニガナで、黄色い花のハナニガナはシロバナハナニガナの変種とされています。はて?

ブタナ 近くに咲いていたブタナもよく似ていますが、ブタナはヨーロッパ原産の外来種。自然の宝庫の富幕山にもブタナがたくさん咲いていました。



  

2024年05月12日

新緑の北遠を♪グルリ⑥―クロアゲハ

クロアゲハ 舟代(ふなよ)の茶園の脇で咲いていたツツジに、真っ黒なアゲハチョウがやって来ていました。オナガアゲハかな?とも思ったのですが、それほど尾状突起が長くはありませんので、多分クロアゲハ。

クロアゲハ クロアゲハは、その名の通り黒い翅。決して派手な蝶ではありませんが、濃いピンク色のツツジの花に来ていましたから、黒とピンクとの対比で目立っています。クロアゲハもそれを承知していたらしく、逆にはしゃいでいたみたい。

 「お前にそんなことを言われたくない!」と思われちゃったかな?


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:32Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物昆虫・蝶の図鑑・野生鳥獣

2024年05月12日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り⑦―野田

野田の茶園と棚田 二本杉峠とホウジ峠を越えれば、その先、県道290号水窪羽ケ庄佐久間線は佐久間町芋堀(いもほり)へと向かいます。その途中で車を止めたのは野田(のた)。家は高く積み上げられた石垣の上にあり、家の下の斜面に茶が植えられています。

野田の茶園と棚田 茶はほぼ等高線方向に植えられてはいますが、畝は長くはなく、まるでモザイク模様のよう。痩せ地でも逞しく育つのが茶の木。遅霜に注意すれば、山間地は茶の栽培に適しているのです。

 そして、県道の下には数枚の棚田があり、もしかしたら、田植えはもう済んでいるのかも?

  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:29Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り

2024年05月12日

180回目の秋葉山⑨―「もみじ茶屋」跡

「もみじ茶屋」跡 かつての秋葉山表参道には何軒かの茶屋があり、最初の休憩所としてベンチが置かれている場所にあったのは「もみじ茶屋」です。「もみじ茶屋」跡は、秋葉山に初めて登る人たちがここのベンチに腰掛けて「あと、どれくらい?」と一服するところ。

「もみじ茶屋」跡の石積み 道の左側に石積みが残っていますので、茶屋があったのは多分こちら側。そして、茶屋が建てられてと思われる基礎部の裏側にも石積みが残されています。

「もみじ茶屋」跡の石積み 急登なジグザグ坂道を登って来て、ちょっと一息つける「もみじ茶屋」。かつては、杉やヒノキに覆われてはいず、もう少し明るて、秋には色づいたモミジを楽しむことができたと思われる場所。夏みかんと思われる背の高い木が生えているのも、この場所です。

  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:25Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財秋葉山・AKG(秋葉観光ガイド)

2024年05月12日

目で見る掛塚の防災⑰―天竜川河口の警報局とライブカメラ

天竜川河口の警報局 もしも、天竜川の水位が上がって危険な状態になったとしたら、私たちはそれをどうやって知ればいいのでしょうか?天竜川の水位が上がる原因は大雨だけでなく、上流にある船明(ふなぎら)ダムが放流する場合も考えられます。おそらく、みなさんも聴いたことがあると思いますが、船明ダム放流の時にはサイレンが鳴って知らせます。

 これが「警報局」と呼ばれる施設。天竜川には何ヶ所かの「警報局」がありますが、河口にもあり、放流の時にはサイレンだけではなく、回転灯も点灯して知らせます。

天竜川河口のライブカメラ そして、すぐ近くにはライブカメラも設置され、10分おきに配信されていますので、誰でもインターネットを通して確認することができます。

掛塚橋のライブカメラ 掛塚橋のライブカメラの設置場所は浜松市側。水位上昇が気になった時には川に出かけるのではなく、ライブカメラを通して確認してください。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。

  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:18Comments(0)みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚祭り・イベント・民俗芸能・伝統行事

2024年05月11日

初夏の自然を訪ねて富幕山へ②―ギンリョウソウ

ギンリョウソウ 富幕山(とんまくやま)で出会った「ぎんさん」は、ギンランだけではなく、ギンリョウソウも。しかも。その数の多さにビックリでした。ギンリョウソウは、見た目の通り葉緑素はなく、菌類から栄養分を得て生長している腐生植物。・・・にも関わらず、分類上はツツジ科とは?はて?

ギンリョウソウ 富幕山を歩けば、ギンリョウソウは探さなくてもすぐに見つけられます。ギンリョウソウが多く生育しているのは、富幕山の自然が豊かな証拠。ギンリョウソウ(銀竜草)とは銀色の竜に例えられ名付けられましたので、今年(2024)の干支「辰」とも無縁ではありません。


  

2024年05月11日

新緑の北遠を♪グルリ⑤―桐?ジャカランダ?

桐?ジャカランダ? 佐久間町上平山で出会ったよく似た花―すぐそばに寄り添うようにして高く育ち、花の色は白と水色。「白い花がジャカランダで、水色の花が桐」と言いたいのですが、もしかしたらどちらもジャカランダかも知れないし、どちらも桐かも知れません。

桐?ジャカランダ? 桐は中国原産のキリ科キリ属で、ジャカランダは南米原産のノウゼンカズラ科。日本にやって来た時代には大きな差がありますが、皇室の家紋にも使われている桐が外来種とは驚き。生物の世界の国際化って、昔から行われていたんですね?

桐? 野田で出会ったこの花は、桐かも知れません。まあ、「かも知れません」ですけどね。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 05:01Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物

2024年05月11日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り⑥―「中央構造線断層谷観察地」

「中央構造線断層谷観察地」からの風景 佐久間町から水窪町へと抜ける道は国道152号が一般的ですが、今回の私は県道290号水窪羽ケ庄佐久間線を通り、二本杉峠、ホウジ峠を越えて芋堀(いもほり)へ。途中、二本杉峠の手前に「中央構造線断層谷観察地」とされる場所があり、ここからは中央構造線のケルンコル(断層谷)に位置する下平(しもったいら)や峰の集落が見下せます。

「中央構造線断層谷観察地」の茶園 そして、ここの斜面にも茶園が。決して広い茶園ではありませんが、畝で植えられていたり、畝ではなかったり。普段はあまり気づかない茶園風景ですが、もしかしたら、見上げれば下からも見えていたのかも知れません。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:58Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り地質・地形・岩石

2024年05月11日

180回目の秋葉山⑧―イズセンリョウの実とアリドオシの花

イズセンリョウの実 花が咲いていても、実が成っていても、毎度、毎度、気になるイズセンリョウの木。冬の間は白い実が成り、春になって花を咲かせていたかと思ったら、もう緑色の実がなっていました。株によって実の大きさにはまだ差がありますが、イズセンリョウにはお休みする時季などないのです。

アリドオシの花 すぐ隣りにはアリドオシの白い花も。アリドオシの花は雄花と雌花が2輪ずつ咲く異性花と信じていたのですが、実はそうでもなさそう。私が勘違いしていたみたいで、2輪の花の子房が合着するのはツルアリドオシだけ。

 それにしても、アリドオシの細くて長い棘は危険!うっかり、触ったりしないでください!



  

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2024年05月11日

目で見る掛塚の防災⑯―掛塚灯台

掛塚灯台 遠州灘に面した磐田市駒場に立つ真っ白な灯台―天竜川河口に広がる遠浅の遠州灘を往来する廻船の難破を防ぐため、明治 30 年(1897)3月、官営灯台として完成した灯台が、今も残る掛塚灯台です。

防潮堤と掛塚灯台 建設当時の掛塚灯台があった場所は、もう少し浜に近い場所だったのですが、平成14年(2002)3月、海上保安庁によって現在地の「海洋公園」南側に移設。現在は防潮堤の上に立ち、遠州灘を往来する船の安全な航行を見守っています。

マンホールの蓋 掛塚灯台の前身は、旧幕臣であった荒井信敬によって建設され、「改心灯台」とも呼ばれた私設の木造灯台。「荒井信敬翁之壽碑」は防潮堤工事のため撤去されてしまいました。

 掛塚灯台はマンホールの蓋にもデザインされ、旧竜洋町のシンボルであり続けています。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。


  

2024年05月10日

初夏の自然を訪ねて富幕山へ①―キンランとギンラン

キンラン 初夏の富幕山(とんまくやま)を歩いたのは5月9日―その目的は、野に咲く「きんさん、ぎんさん」に会いたかったから。「きんさん」はキンラン(右の写真)、そして「ぎんさん」はギンラン(左下の写真)。キンランは群生してはいませんでしたが、あちらこちらで花を咲かせていましたので、探すまでもなく出会うことができました。

ギンラン ところが、出会うことができた「ぎんさん」のギンランは、たったの1株だけ。調べてみると、キンランは北海道を除く45都府県で「絶滅危惧種」の指定を受け、環境省レッドリストでも「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」の指定を受けていますが、ギンランは39府県で「絶滅危惧種」。

 ギンランよりもキンランの方が少ないのかと思ってしまいますが、なぜかギンランと出会うことの方が少ないような気がします。どうしてでしょうか?

 【関連記事】初夏の自然を訪ねて富幕山へ⑧―フタリシズカとツマグロヒョウモン


  

2024年05月10日

新緑の北遠を♪グルリ④―ノイバラとクレソン

ノイバラ この日(5月5日)の北遠ドライブは、「新緑の北遠を♪グルリ」と「『八十八夜』過ぎの茶園巡り」の二刀流。道の駅「花桃の里」の周辺を♪ブラリと歩いた時に出会った、青い空を背景にした白い花。バラと言うと、ついアメリカやヨーロッパなどを連想してしまいがちですが、ノイバラは日本原産の野生のバラです。

クレソン クレソンは、ヨーロッパ、中央アジア原産のもちろん外来種。ほとんどの日本人はクレソンと呼んでいると思いますが、正式な和名は「オランダガラシ」。日本にやって来たのは、明治の初め頃。当時の日本では、「オランダ」と名づけるのが、ヨーロッパ原産らしい名付けだったのでしょうか?



  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:29Comments(0)出かけよう!北遠へ野の花・植物

2024年05月10日

「八十八夜」過ぎの茶園巡り⑤―舟代を見上げる

舟代の茶園 この日、舟代(ふなよ)の茶園を見上げてみようと思い、グルリと下道を回って歩いてみました。もちろん、上から見下ろした方が全体を広く見ることができるのですが、茶畝に近い道を歩くのは、さらに「初夏」を感じられる楽しさ。

舟代の茶園 なだらかに傾斜している茶畝と石積みで段差を造った茶畝もあり、傾斜面の歪みに合わせて、向きを微妙に変えた畝もあります。それでも、畝の幅がほぼ一定なのは二人用茶刈機を使っているからかも知れません。

対岸の茶園 そして、再び車を止めた上の道に戻り、天竜川の対岸、右岸側にも茶園が見えました。ここは、多分龍山町尾曲付近。急傾斜に石段を積んで1段に2列づつ茶畝を作り、坂道と点在する住宅を見ることができましたので、これも北遠の里山らしいほっこりする風景。

 天竜川両岸の山の斜面は、川霧が立つことで陽射しを和らげ、香りの高くて美味しいお茶を育てることができる茶の栽培に適した自然環境なのです。


  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:27Comments(0)出かけよう!北遠へ季節の便り

2024年05月10日

180回目の秋葉山⑦―ウツギとガクウツギ

ウツギ 「180回目の秋葉山」のレポート(絵日記?)も、そろそろ表参道の山道に入らなければいけないのですが、申し訳ありません!もう1回だけ待ってください!だって、ウツギ(右の写真)とガクウツギ(左下の写真)の白い花が季節の訪れを告げていたのですから、ちょっと足を止めないわけにはいきません!

♪卯の花の 匂う垣根に
 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ


ガクウツギ 私たちの世代なら誰もが知っている、佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の『夏は来ぬ』の歌詞。歌詞の最初「卯の花」とはウツギのこと。旧暦の4月を「卯月」と呼ぶのは「卯の花」が由来で、「卯の花が咲く月」であることから「卯月」。2024年の新暦では5月8日~6月5日が「卯月」に当たります。

秋葉山表参道 ・・・と知ったかぶりのコメントをすれば、さあ、いよいよ表参道の山道です。遥か前方に写っている2人連れは、道草をしている私を追い抜いて行った人たち。今回も、こうして次々と追い越されてしまいました。



  

Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 04:24Comments(0)野の花・植物秋葉山・AKG(秋葉観光ガイド)

2024年05月10日

目で見る掛塚の防災⑮―「外人墓地」と「弥之助地蔵」

 みなさんは、掛塚の南にある「駒場霊園」のすぐそばに、「外人墓地」と「弥之助地蔵」があるのをご存知ですか?

「外人墓地」 「外人墓地」とは・・・

 安政六年(一八五九)の冬、アメリカのニンフ号(妖精)という大型船が掛塚の沖で座礁しました。大波のなか八人がボートに乗ってきたため、駒場の人たちは懸命に救助活動をして三人は助けましたが、五人はなくなってしまいましたので砂浜に埋葬しました。
 また、船に残っていた十二人を助け出し、中泉代官の指示のもとに世話をし、掛塚湊の廻船問屋・林文吉の船で助かった十五人とすべての積荷を横浜に送り届けました。


「弥之助地蔵」 そして、「弥之助地蔵」とは・・・

 天明二年(一七八二)、駒場海岸に流れ着いた十二人の遺体を村人たちがねんごろに葬り、石地蔵を造立して弥之助地蔵と呼んだ。
 ある時、何者かが地蔵の首を欠いて傍らの弥之助池に投げ込んだ。後に農夫が見つけ、猶次郎という者がそれを首なし地蔵の際に置いたところ、娘が毎夜、首なし地蔵の夢にうなされた。
 猶次郎は村人と相談して石工に首級を継いでもらって追善供養をした。すると娘の病もなおったという。


 どちらも、遠州灘の掛塚湊近くで起きた災害を語り継ぐ逸話。遠浅の遠州灘は、岸に近づくほど波が高くなる海の難所。日々の天気だけでなく、風向、風速と波の高さ、満潮時と干潮時との海面の高さの差などを知ることが、船の運航には欠かせない防災情報だったのです。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「歴史に学ぶ掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。