2024年04月26日

目で見る掛塚の防災①―掛塚、川袋、白羽

「天竜川御普請絵図」 私が住んでいるのは磐田市堀之内―「堀之内」の地名は各地にありますが、その由来は「旧天竜東川の対岸西堀(村)に対して、堀の内に位置したことに由来する」(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)。ここで言われている「堀」とは、天竜川の東派川のこと。竜洋西地区の「掛塚」「川袋」「白羽」なども、天竜川が太平洋に注ぐ地ならではの地名です。

 「竜洋郷土資料館」に展示されている「天竜川御普請絵図」(1815)の解説によれば・・・

 天竜川下流には、掛塚輪中・鶴見輪中・川袋村、十郎島飛地の輪中と三つの輪中がありました。川の名前は、「天竜東川」「天竜中川」「天竜西川」で把握されていました。

 ・・・とあり、昔から大きな洪水を何回も発生し、「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川は、下流域に大きな被害をもたらして来たのは間違いありません。

国土地理院の航空写真 国土地理院の航空写真(1945~1950年)を一部切り取ってみたのが左上に掲載したもの。これが、天竜川の河口近くの左岸の様子。東派川の締め切り工事は、昭和10年(1935)に着工し、同19年(1944)に竣工。

竜洋西堀緑地公園にある「龍のオブジェ」 竜洋西堀緑地公園にある「龍のオブジェ」は、東派川の締め切りから50年が過ぎたことを記念して、建設省浜松工事事務所から贈られた「調和と希望」と題されたモニュメント。東派川の締め切り跡は、ここです。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「目で見る掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。



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