2024年04月29日

目で見る掛塚の防災④―天竜川堤防の改修

天竜川新堤防 そもそも、「掛塚」の地名由来については「『掛塚』の『塚』は『須賀』の転訛で『砂丘(すか)』に通じ、堆積した旧天竜川の砂丘が欠け流されたことに由来するという」(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)。

新堤防と旧堤防 つまり、天竜川の本流と東派川とに囲まれた輪中の中で、本流に一番近い位置にあるのが掛塚。しかも、土地のほとんどは砂なのですから、もしも天竜川が氾濫したら、大災害が発生してしまいます。

新堤防と旧堤防 そんな不安を取り除くため、江戸時代にも自然堤防の改修や新たな堤防の建設がされたと思われますが、明治時代になると、金原明善による治水事業が施行されることとなり、それまでの旧堤防では不十分として、明治18年(1885)からの第一次改修、大正12年(1923)から1第二次改修などが施行。本流の流れを良くするためとして、本流の中州として存在した十郎島が除去されました。

 第二次改修工事により、天竜川の川幅は現在の通りに決められ、堤防も旧堤防よりも高く幅広く、より強固なものになりました。現在の堤防の内側に残るのが旧堤防。比較してみれば、掛塚の防災の歴史が垣間見えて来ます。

「防災フェア in 掛塚」 *今回、「目で見る掛塚の防災」と題してレポートさせていただいたのは、5月18日(土)19日(日)に開催する「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」主催の「いじゃまいかけつか・2024年春」のテーマを「防災」としたから。正月には能登半島地震が発生し、テレビの画面を通して被災現場の光景を目の当たりにしたことにより、南海トラフ巨大地震に対する備えの必要性がより身近な課題として考える機会としていただきたいと考えました。



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