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2020年12月03日

森の鋳物師・山田七郎左衛門の仕事を訪ねて⑤―島田・白光神社の梵鐘

白光神社 森の鋳物師・山田七郎左衛門が残した鋳造品について調べていたところ、島田市高熊の白光(はっこう)神社の梵鐘が出て来ました。神社の梵鐘?島田ならそんなに遠くではありませんので、行かないという選択肢はありません。

白光神社の鐘楼 白光神社は大井川鉄道福用(ふくよう)駅の近く、標高832メートルの八高山(はっこうさん)の登り口に鎮座し、境内には確かに鐘楼が。「白光」と「八高」―ともに「はっこう」と読み、神社でありながら梵鐘があるのは、元は八高山をご神体とした修験道由来の神仏習合(混淆)の施設だったからと思われます。

 現地に建てられていた「白光神社梵鐘の縁起」には、この梵鐘にも龍禅寺の梵鐘と同じような奇跡の歴史があったことが紹介されています。

 (前略)江戸時代の享保四年(西暦一七一九年)今より約三〇〇年前、高熊の村民の有志及び近郷の有志の方々によって、この梵鐘が奉納されました。

梵鐘 この鐘の音が近隣の山々村々に響き渡る平和な時代が長く続くも、先の太平洋戦争により、この鐘も「金属供出令」により御国の為として、この地を離れることになりました。

 その後鐘の行方を知ることは無かったが、昭和五二年に浜松市天竜二俣の光明寺に兵器にはならず所在することが判明し、当地の先輩諸氏により返還の努力が実り、この生まれ故郷の高熊に帰ることが出来ました。(後略)


「駿遠両國鋳物師惣大工森町住人 山田七郎㔫衛門尉藤原種滿 岡野五郎左右衛門行堅作」 ・・・とあり、気になる作者については「梵鐘の作者は徳川家康より御朱印状を受けた森町住人駿遠両国鋳物師惣大工職の山田七郎左衛門と岡野五郎左衛門です」と書かれています。

 そして、梵鐘の肌に刻まれた文字には「駿遠両國鋳物師惣大工森町住人 山田七郎㔫衛門尉藤原種滿 岡野五郎左右衛門行堅作」とあり、「山田七郎㔫衛門尉藤原種滿」は山田七郎左衛門、そして、「岡野五郎左右衛門行堅は、磐田市見付宿町の秋葉山常夜燈に刻まれていた「鑄物師森甼住 岡野五郎三郎義兼」、森町城下の秋葉山常夜燈の「鋳物師岡野五良左衛門」と同じ岡野家の鋳物師に違いありません。




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この記事へのコメント
アップされている画像について
梵鐘の銘文部分を研究資料として、活用したいと考えています。
判読した結果を、論文等に書きたいと思っています。
画像提供者として、お名前も記します。
ご許可頂けると幸いです
Posted by 杉本 at 2024年04月29日 03:09
使っていただければ、私としても幸いです。名前は「斉藤朋之」。別に載せなくてもいいですよ。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さんみんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2024年04月29日 05:18
御礼遅くなりました。
ご快諾頂き、ありがとうございます。
昨今の流れてとしましては、所有権・優先権をきちんとしておく必要があり、お願い申し上げた次第です。
出来上がりましたら、お知らせします。
貴方の森の鋳物師シリーズほかも、拝読させて頂き、とても参考になりました。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by 杉本 at 2024年05月02日 16:37
いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さんみんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2024年05月02日 17:27
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