› 自然と歴史の中を歩く! › 2018年08月
2018年08月31日
納涼イベント「いじゃまいかけつか・夏」⑦―元気を与えた掛塚屋台囃子
8月25日(土)に開催した納涼イベント「いじゃまいかけつか・夏」のメーンイベントの1つが、「掛塚まつり」に演奏される笛と太鼓のお囃子披露です。
創立50周年を迎えた「掛塚屋台囃子保存会」と地元「砂町保存会」のリズミカルなお囃子が、初めて開かれた夏の納涼イベントに活気を与えることになりました。
「掛塚屋台囃子保存会」会長の松山眞さんは、私たち「みんなと倶楽部」の会員。そして、太鼓の演奏には、経験のない子どもたちにも飛び入り参加を呼び掛けたところ、次々と希望者が現れ、初めてバチを持つ子どもでも、耳で聞いて育ち、体に浸み込んでいるお囃子のリズムですから、すぐに飲み込み笑顔で演奏が続けられました。
それを見ているお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちからは拍手と手拍子が自然と沸き上がり、第2部のラストを飾った演奏では、歩行者天国の道路上にズラリと椅子が並び、祭り本番を10月20日・21日に控えた地元の人たちに元気を与えているようでした。
創立50周年を迎えた「掛塚屋台囃子保存会」と地元「砂町保存会」のリズミカルなお囃子が、初めて開かれた夏の納涼イベントに活気を与えることになりました。
「掛塚屋台囃子保存会」会長の松山眞さんは、私たち「みんなと倶楽部」の会員。そして、太鼓の演奏には、経験のない子どもたちにも飛び入り参加を呼び掛けたところ、次々と希望者が現れ、初めてバチを持つ子どもでも、耳で聞いて育ち、体に浸み込んでいるお囃子のリズムですから、すぐに飲み込み笑顔で演奏が続けられました。
それを見ているお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちからは拍手と手拍子が自然と沸き上がり、第2部のラストを飾った演奏では、歩行者天国の道路上にズラリと椅子が並び、祭り本番を10月20日・21日に控えた地元の人たちに元気を与えているようでした。
2018年08月31日
建築家・中村與資平が設計した建物①―旧遠州銀行本店
中村與資平(なかむらよしへい)は明治13年(1880)に長上郡天王新田村(現在の浜松市東区天王町)に生まれ、明治期から昭和期に活躍した建築家。日本国内だけでなく、朝鮮・旧満州などにおいても多くの銀行や公共建築の設計を手がけたことで知られています。
西洋建築に学んだ中村與資平が設計した建築物の多くは解体・撤去されてしまいましたが、その一部は今も残っています。浜松、静岡、豊橋に中村與資平が設計した建物を訪ねてみました。
先ずは、浜松市中区田町の旧遠州銀行本店から。旧遠州銀行本店は静岡銀行浜松支店として現在も使われ、浜松市民なら一番身近で見ることが出来ます。
地上3階地下1階建てのこの建物は、昭和3年(1928)年の建築。当時最新であった鉄骨鉄筋コンクリート造が採用されたのは、大正12年(1923)に発生した関東大震災の教訓から。県下初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート造の建物でした。
花崗岩張りの外壁に、ギリシャ神殿風の外観。3階まで伸びている4本の円柱の柱頭には渦巻き模様の飾りが施され、古代ギリシアの神殿建築を模したイオニア式とのこと。
古い絵葉書「遠州銀行全景」と比べて見ても、外観はほぼ同じ。
西洋建築に学んだ中村與資平が設計した建築物の多くは解体・撤去されてしまいましたが、その一部は今も残っています。浜松、静岡、豊橋に中村與資平が設計した建物を訪ねてみました。
先ずは、浜松市中区田町の旧遠州銀行本店から。旧遠州銀行本店は静岡銀行浜松支店として現在も使われ、浜松市民なら一番身近で見ることが出来ます。
地上3階地下1階建てのこの建物は、昭和3年(1928)年の建築。当時最新であった鉄骨鉄筋コンクリート造が採用されたのは、大正12年(1923)に発生した関東大震災の教訓から。県下初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート造の建物でした。
花崗岩張りの外壁に、ギリシャ神殿風の外観。3階まで伸びている4本の円柱の柱頭には渦巻き模様の飾りが施され、古代ギリシアの神殿建築を模したイオニア式とのこと。
古い絵葉書「遠州銀行全景」と比べて見ても、外観はほぼ同じ。
昭和20年(1945)6月18日の浜松大空襲を経て焼け残った貴重な建物は、平成17年(2005)には浜松市の文化財に指定されました。
2018年08月31日
夏休み自由研究「地質」⑧―小塩の地滑り
国道152号沿いに「小塩地すべり防止事業」の看板が建てられているのに気づきました。
小塩とは、大鹿村にある「塩」地名の1つ。小塩のほかにも、鹿塩、塩河、塩原、大塩、満塩、塩孫などの地名があり、これらは大鹿村に湧き出る塩水に因む名です。
山里に湧く塩水の原因については不明ですが、江戸時代に馬を飼育する牧場が作られたのも、この山塩が良馬を育てるためでした。
しかし、塩水の湧く三波川変成帯の地質は脆く、小塩地区は大規模地滑り地帯。昭和40年代には毎年のように1.5メートルほどは動き続けていたそうです。
小塩とは、大鹿村にある「塩」地名の1つ。小塩のほかにも、鹿塩、塩河、塩原、大塩、満塩、塩孫などの地名があり、これらは大鹿村に湧き出る塩水に因む名です。
山里に湧く塩水の原因については不明ですが、江戸時代に馬を飼育する牧場が作られたのも、この山塩が良馬を育てるためでした。
しかし、塩水の湧く三波川変成帯の地質は脆く、小塩地区は大規模地滑り地帯。昭和40年代には毎年のように1.5メートルほどは動き続けていたそうです。
そのための対策として実施されたのが「小塩地すべり防止事業」。地滑りを引き起こす地下水を排出するため、井戸やトンネルを掘り、補強のアンカーを打ち込むという難事業でしたが、その成果もあり、最近では小塩地区に地滑りは発生していないそうです。
2018年08月31日
雨上がりの阿蔵道⑨―色づき始めたコミカンソウ
トウダイグサ科コミカンソウ属のコミカンソウの実が色づき始めました。
見た目は、マメ科のオジギソウ。オジギソウと同じように、夕方には葉を閉じる就眠運動をしますが、小さなミカンのような実を見れば、コミカンソウ(小蜜柑草)だとすぐに分かります。
見た目は、マメ科のオジギソウ。オジギソウと同じように、夕方には葉を閉じる就眠運動をしますが、小さなミカンのような実を見れば、コミカンソウ(小蜜柑草)だとすぐに分かります。
コミカンソウが色づき始めたということは、秋が近づいたということ。残暑が去るまで、あと少しです。
2018年08月31日
霧ヶ峰・八島ヶ原湿原の自然⑮―キバナヤマオダマキ
霧ヶ峰・八島ヶ原湿原の木道脇で1株だけ咲いていた淡い黄色の花は、キバナヤマオダマキ(キバナノヤマオダマキ)です。
試しに「ODAMAKI」と入力してみてください。「オダマキ」「おだまき」、そして「苧環」と変換されるはずです。「苧環」とは、機織りの時に麻糸を蒔いた糸巻きのこと。その「苧環」に似ているので「オダマキ」と呼ばれるようになったのがオダマキの花。確かに似ています。
園芸用に品種改良されたものがたくさん出回っていますが、咲いていたのは自生のキバナヤマオダマキ。キンポウゲ科ですので、外側の花弁のように見えているのが萼になり、内側の筒状のものが花です。
試しに「ODAMAKI」と入力してみてください。「オダマキ」「おだまき」、そして「苧環」と変換されるはずです。「苧環」とは、機織りの時に麻糸を蒔いた糸巻きのこと。その「苧環」に似ているので「オダマキ」と呼ばれるようになったのがオダマキの花。確かに似ています。
園芸用に品種改良されたものがたくさん出回っていますが、咲いていたのは自生のキバナヤマオダマキ。キンポウゲ科ですので、外側の花弁のように見えているのが萼になり、内側の筒状のものが花です。
オダマキの花言葉は「断固として勝つ」。どこから、そんな花言葉が生まれたのか知りませんが、八島ヶ原湿原のキバナヤマオダマキは孤軍奮闘しているかのようでした。
2018年08月30日
納涼イベント「いじゃまいかけつか・夏」⑥―オープニングはフラダンス
一足先に始まった旧津倉家住宅見学会が終わり、歩行者天国を利用してのイベントが始まったのは午後5時。華々しいオープニングを飾ったのはフラダンス同好会による「フラダンス」でした。
花模様の赤いスカートに黒のブラウス姿の女性たち。カンカン帽をかぶって踊り始めたのは「♪あの娘可愛やカンカン娘~」の『銀座カンカン娘』でした。2曲目は、カンカン帽をレイに変え、ハワイアンの代表曲『パーリー・シェルズ(真珠貝の歌)』。
花模様の赤いスカートに黒のブラウス姿の女性たち。カンカン帽をかぶって踊り始めたのは「♪あの娘可愛やカンカン娘~」の『銀座カンカン娘』でした。2曲目は、カンカン帽をレイに変え、ハワイアンの代表曲『パーリー・シェルズ(真珠貝の歌)』。
イベントは2部に分かれて開催されましたので、午後7時の第2部のオープニングも「フラダンス」。日は落ちいましたが、設置した照明とフラガールたちの華やかな衣装で納涼イベントの雰囲気は大いに盛り上がりました。
2018年08月30日
夏休み自由研究「地質」⑦―小渋橋から望む赤石岳の絶景
国道152号の小渋川に架けられた新小渋橋のすぐ上流に架けられた古い橋が小渋橋。昭和32年(1957)竣工(銘板は昭和31年)のアーチ型鉄筋コンクリート造ローゼ桁橋。上流に見える赤石岳の雄大な景観との調和が評価され、国の有形文化財に登録されています。
小渋川の水源は赤石岳(3120メートル)の麓。流路は中央構造線から分岐した小渋断層で、ほぼ真っ直ぐに東から西へと流れています。小渋橋から見る赤石岳の絶景は、この地形条件によるもの。小渋橋は、見逃してはいけないお立ち寄りポイントです。
赤石岳が望める橋のたもとには宣教師として来日し、日本の山を「日本アルプス」として世界に紹介した登山家ウォルター・ウェストンと大鹿村とのつながりを伝える赤石岳登山顕彰碑が建てられています。
小渋川の水源は赤石岳(3120メートル)の麓。流路は中央構造線から分岐した小渋断層で、ほぼ真っ直ぐに東から西へと流れています。小渋橋から見る赤石岳の絶景は、この地形条件によるもの。小渋橋は、見逃してはいけないお立ち寄りポイントです。
赤石岳が望める橋のたもとには宣教師として来日し、日本の山を「日本アルプス」として世界に紹介した登山家ウォルター・ウェストンと大鹿村とのつながりを伝える赤石岳登山顕彰碑が建てられています。
「赤石岳の美しさと素朴で親切な村民を世界に紹介してくれたウェストン師の為に」―これが顕彰碑に刻まれた碑文です。
2018年08月30日
雨上がりの阿蔵道⑧―フシグロセンノウ
オレンジ色の花はもう終わりかけていましたが、フシグロセンノウです。
フシグロセンノウの「フシグロ(節黒)」とは、茎の節の部分が黒いこと。細い茎ですが、確かに節が黒くなっています。
フシグロセンノウの「フシグロ(節黒)」とは、茎の節の部分が黒いこと。細い茎ですが、確かに節が黒くなっています。
二の腕と顔の黒さだったら、私だって負けてはいません。私の色黒は冬まで残りますが、フシグロセンノウの花の時季はそろそろ終わりに近づいたようです。
2018年08月30日
秋近づく小國神社境内地⑨―シタキソウ
「夏を迎えた小國神社の自然⑩」で小さな実を確認したシタキソウですが、8月17日にはすっかり八の字のカイゼルヒゲ型になっていました。
ここまで来たら、次は実が弾けて白い綿毛を見たいのですが、今年(2018)は見られるでしょうか?
2018年08月30日
霧ヶ峰・八島ヶ原湿原の自然⑭―ノアザミで吸蜜する蝶たち
霧ヶ峰・八島ヶ原湿原で咲いていたアザミは、ノアザミなのか?それともノハラアザミなのか?はっきりとは分かりませんが、吸蜜に訪れていた蝶たちにとっては、どうでもよい話だったのかも知れません。
キアゲハ、イチモンジセセリ、ウラギンヒョウモンが、花いっぱいの八島ヶ原湿原に次々とやって来て、吸蜜に訪れる人気の花は、下諏訪町の町の花「アザミ」。
キアゲハは翅表の塗り潰された模様を、イチモンジセセリは白い斑点がつながった一文字模様を、ウラギンヒョウモンは翅裏に並ぶ銀紋を見せ、お互いに所属の「祭り連」をアピール。
キアゲハ、イチモンジセセリ、ウラギンヒョウモンが、花いっぱいの八島ヶ原湿原に次々とやって来て、吸蜜に訪れる人気の花は、下諏訪町の町の花「アザミ」。
キアゲハは翅表の塗り潰された模様を、イチモンジセセリは白い斑点がつながった一文字模様を、ウラギンヒョウモンは翅裏に並ぶ銀紋を見せ、お互いに所属の「祭り連」をアピール。