2020年07月30日
我が故郷の気賀(きが)を歩く⑮―松島十湖の句碑と顕彰碑
「三日見ぬ 細江のへりの 青田哉」。樹木の陰に隠れ、見えにくくなっていますが、細江神社境内にある松島十湖の句碑です。
境内には他にも、「松島」の名が刻まれた2基の石碑が並んでいます。向かって左は、確かな読みではありませんが「平井寿學之碑」。この篆字を書いたのが「前引佐麁玉郡長三遠農學社顧問松島十湖」と刻まれています。
そして、向かって右の碑には「練精翁碑」と刻まれ、「三遠農學社長松島翁紀徳碑」とされています。ここで登場する「松島翁」とは松島十湖ではなくて、十湖と同じく報徳思想普及に努め初代社長となった松島授三郎。
そして、「練精翁碑」の篆額の字を書いたのは、「内務大臣海軍大将正二位勲一等功二級侯爵西郷従道」。西郷隆盛の実弟で明治時代の政治家・軍人の西郷従道(1843~1902)が書いた字でした。
境内には他にも、「松島」の名が刻まれた2基の石碑が並んでいます。向かって左は、確かな読みではありませんが「平井寿學之碑」。この篆字を書いたのが「前引佐麁玉郡長三遠農學社顧問松島十湖」と刻まれています。
そして、向かって右の碑には「練精翁碑」と刻まれ、「三遠農學社長松島翁紀徳碑」とされています。ここで登場する「松島翁」とは松島十湖ではなくて、十湖と同じく報徳思想普及に努め初代社長となった松島授三郎。
そして、「練精翁碑」の篆額の字を書いたのは、「内務大臣海軍大将正二位勲一等功二級侯爵西郷従道」。西郷隆盛の実弟で明治時代の政治家・軍人の西郷従道(1843~1902)が書いた字でした。