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2018年03月30日

松島十湖句碑を追って①―源長院「浜松は 出世城なり 初松魚」

源長院 当ブログでも何度か紹介して来た松島十湖(じっこ)は、豊田郡中善地村(現在の東区豊西町)に生まれ、「今芭蕉」とも呼ばれた俳人。そんな十湖の句碑を訪ねるため、先ず立ち寄ったのは、十湖の菩提寺である浜松市東区豊町の源長院です。

 源長院には、十湖とその門人たちなどの句碑が40基並び、有名なのはやはり「浜松は 出世城なり 初松魚(はつがつお)」の句。浜松八幡宮にある同じ句を刻んだ碑では、浜松は「はま松」とされていましたが、源長院では「浜松」です。

「浜松は 出世城なり 初松魚」の句碑 句碑には「七十三童十湖」と刻まれていますので、嘉永2年(1849)年3月17日生まれの十湖が数えで73歳の時は大正10年(1921)の建立と考えられます。

 松島十湖の有名な句「浜松は 出世城なり 初松魚(はつがつお)」を刻んだ石碑の周りには、十湖の門人たちの句碑が並び、その中に十湖の句、「竹の子や 親も養ふ ほどの露」「世の中に ほうきあてばや すゝはらい」「在し世の 事思ふて 魂祭り」を刻んだものもあります。




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Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 06:06│Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財
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