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2020年08月06日

我が故郷の気賀(きが)を歩く㉒―桝形と秋葉山常夜燈

桝形と秋葉山常夜燈 小学生だった頃の思い出としてはっきりと残っているのが、呉石にあるL字型の石垣。現在の国道362号は真っ直ぐな道になっていますが、かつては、ここは桝形。現地には「気賀宿の桝形と燈籠」の解説看板が建てられていました。

「気賀宿の桝形と燈籠」の解説看板 気賀は天正十五年(一五八七)本多作左衛門によって街道の宿場と定められた。江戸時代には、山手に土塁、南は堀川、東に関所と葭垣、西に石垣と矢来の桝形があり、その中に本陣、問屋場、旅籠をはじめ民家約百軒が町並を作っていた。この桝形は気賀宿の西入口にあたり、一対のL字型の石垣の上に土を盛り矢来を組み、門が設けられていた。外敵の勢いを鈍らせるため、道を折り曲げたものだが、道路拡張のため向かい側の石組は取り去られた。石組の中に瓢箪の型をした石がはまっている。
 燈籠は、当地の安全を、秋葉山に祈願した常夜燈で、地元の若者たちが願主となり、安政四年(一八五七)に四十両の大金を集めて建てられたものである。

  昭和六十三年三月二十日 細江町教育委員会


瓢箪型の石 桝形の石垣だけでなく、瓢箪型の石をはめ込んだ遊びも、私はちゃんと覚えていました。それにしても、こんな解説看板があちらこちらに建てられ、「町あるき」にはとても役に立つ情報にあふれています。

 我が故郷の気賀が魅力あふれる歴史の町だったことが、今さらながらに嬉しく感じられました。




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