2020年05月04日
我が故郷の「姫街道」を歩く⑭―刑部城跡
旧姫街道の長坂を下り、新屋から県道261号の通称「姫街道」を横切ると、目の前に聳えている小高い丘が刑部城(おさかべじょう)跡。子供の頃から見慣れていた城跡ですが、いざ立ち寄ったのは今回が初めてでした。
刑部城跡については、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」まちめぐりマップのHPに、次のような紹介がされています。
永禄3年(1560年)上洛を目指した今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、家康は岡崎城に戻り、武将として独立し天下取りに乗り出した。永禄11年(1568年)今川氏が制圧していた遠江へ侵攻。引間城(のちの浜松城)、そして掛川城を目指しました。刑部城は、その過程で陥落した小城です。
刑部城は、元亀3年(1572年)武田信玄が三方原の戦いで家康に勝利したあと、ここにしばらく滞在したともいわれています。
刑部城跡については、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」まちめぐりマップのHPに、次のような紹介がされています。
永禄3年(1560年)上洛を目指した今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、家康は岡崎城に戻り、武将として独立し天下取りに乗り出した。永禄11年(1568年)今川氏が制圧していた遠江へ侵攻。引間城(のちの浜松城)、そして掛川城を目指しました。刑部城は、その過程で陥落した小城です。
刑部城は、元亀3年(1572年)武田信玄が三方原の戦いで家康に勝利したあと、ここにしばらく滞在したともいわれています。
そして、「城跡は、深い竹藪のなかにあります」と続けられているように、城跡は竹で覆われ、かなり背が高く見えますが、竹の高さを差し引くと、それほど高い丘ではありません。どこが入口でどこに道があるのか、まったく分かりません。
近くには、武士の居住地を示す「根古屋(ねごや)」の小字名も残っているとのことですから、かつて、ここが城だったのは間違いありません。
近くには、武士の居住地を示す「根古屋(ねごや)」の小字名も残っているとのことですから、かつて、ここが城だったのは間違いありません。
この記事へのコメント
ミカワチャルメルソウにはミカドシギキノコバエだけがやって来ます。しばらく待てば必ず見られます。
素敵な花ですね。
素敵な花ですね。
Posted by 鈴木佳子 at 2020年05月04日 18:01
あらら?佳子先生!コメントありがとうございました。
でも、ミカワチャルメルソウの記事は、これじゃないけど・・・
ま、いいか!
でも、ミカワチャルメルソウの記事は、これじゃないけど・・・
ま、いいか!
Posted by みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん at 2020年05月04日 18:47