2020年07月19日
我が故郷の気賀(きが)を歩く④―気賀関所跡
「気賀四ッ角」にあったのが、姫街道の気賀関所入口。現在、浜松市北区役所そばにある気賀関所はあくまでも復元されたもので、本来の場所はこちらです。そして、そこには浜松市指定有形文化財の「気賀関所 本番所」の一部が現在も残されていました。
現地に建てられた「細江町教育委員会」の解説看板によれば・・・
気賀関屋 東海道三大関所跡 昭和四十一年一月二十七日指定
この気賀の関所は慶長六年(一六〇一)徳川家康の創建で東海道本坂越(姫街道)の交通取締りのために設けられた。
関所の建物は、はじめ茅葺であったが、寛政元年(一七八九)に杮葺・切妻破風作り、狐格子・瓦棟に改築された。
しかし屋根は嘉永七年(一八五四)の大地震で壊れたので葺きかえられ昭和三十五年まで残っていた。
現在の建物は関屋の正面に向かって左部分三分の一で下の間・勝手の間の部分であるが屋根の切妻破風作り、狐格子が良く見られる。
この細い道は、気賀小学校に通う時に通っていた道。しかし、そこに昔の建物が残っていたとは知りませんでした。今も残るのは、関屋の一部。その奥にあるのは共同井戸の名残でしょうか?
現地に建てられた「細江町教育委員会」の解説看板によれば・・・
気賀関屋 東海道三大関所跡 昭和四十一年一月二十七日指定
この気賀の関所は慶長六年(一六〇一)徳川家康の創建で東海道本坂越(姫街道)の交通取締りのために設けられた。
関所の建物は、はじめ茅葺であったが、寛政元年(一七八九)に杮葺・切妻破風作り、狐格子・瓦棟に改築された。
しかし屋根は嘉永七年(一八五四)の大地震で壊れたので葺きかえられ昭和三十五年まで残っていた。
現在の建物は関屋の正面に向かって左部分三分の一で下の間・勝手の間の部分であるが屋根の切妻破風作り、狐格子が良く見られる。
この細い道は、気賀小学校に通う時に通っていた道。しかし、そこに昔の建物が残っていたとは知りませんでした。今も残るのは、関屋の一部。その奥にあるのは共同井戸の名残でしょうか?