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2017年08月03日

金指・実相寺を訪ねる④―渡辺謙堂の彰徳碑と松島十湖の句碑

渡辺謙堂の彰徳碑(右)と松嶋十湖の句碑(左) 実相寺の門前脇には、渡辺謙堂の彰徳碑(右)と松嶋十湖の句碑(左)が建てられています。松島十湖の名は知っていましたが、渡辺謙堂についてはまったく知識がありませんでしたので、調べてみました。

 渡辺謙堂(兵治)は、文化6年(1809)に引佐町金指村の紙商家に生まれ、学んだ数学や測量技術を生かし、嘉永5年(1852)に浜松近辺の測量図である『遠州小図』を書き表わした人物とされ、滝沢鍾乳洞の洞内図も描いているとのこと。安政2年(1855)に没するまで、当時の産業文化の振興に貢献した郷土の偉人です。

松島十湖の句碑 松島十湖は嘉永2年(1849)豊田郡中善地村(現在の浜松市東区豊西町)の生まれ。初代引佐麁玉郡長に就任した人物ですが、自作の句碑が各所に残り、俳人十湖として知られています。

 実相寺の句碑には、十湖の代表句の1つ「何事も かかる浮世か 月の雲」と刻まれています。もちろん、句の筆跡も十湖本人によるもの。偶然ですが、私の実家にあった襖に書かれていた句と同じです。


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