2020年07月21日
我が故郷の気賀(きが)を歩く⑥―江戸椎
懐かしい細道を歩いて行くと気賀小学校の入口に出ます。そして、そこにあるのが「気賀近藤陣屋遺木江戸椎」。「遺木」とは先人が遺した歴史的意味がある樹木のことです。
細江町指定天然記念 気賀近藤陣屋遺木江戸椎
気賀小学校とこの付近一帯を陣中といい、江戸時代、旗本近藤家の陣屋(屋敷)があった所です。近藤家は、気賀の領主で、気賀関所も近藤家が治めていました。
この椎の木は、陣屋の庭に植えられていたものといわれ、現在陣屋の面影を残すのもこの椎の木だけです。この椎の実はとても大きく、近藤氏が毎年この実を幕府に献上したことから、江戸椎と呼ばれるようになりました。
細江町指定 昭和41年1月27日
平成6年10月1日
細江町教育委員会
私もよく覚えているシイノキ。シイの実ももちろん覚えていますが、正確な樹種名までは記憶していません。
♪細江公園背に負える
清く明るい丘の上
高きいらかを望みては
まなびの園としたいよる
われらの母校気賀小学校
覚えているのは1番の歌詞だけ。気賀小学校校歌です。
細江町指定天然記念 気賀近藤陣屋遺木江戸椎
気賀小学校とこの付近一帯を陣中といい、江戸時代、旗本近藤家の陣屋(屋敷)があった所です。近藤家は、気賀の領主で、気賀関所も近藤家が治めていました。
この椎の木は、陣屋の庭に植えられていたものといわれ、現在陣屋の面影を残すのもこの椎の木だけです。この椎の実はとても大きく、近藤氏が毎年この実を幕府に献上したことから、江戸椎と呼ばれるようになりました。
細江町指定 昭和41年1月27日
平成6年10月1日
細江町教育委員会
私もよく覚えているシイノキ。シイの実ももちろん覚えていますが、正確な樹種名までは記憶していません。
♪細江公園背に負える
清く明るい丘の上
高きいらかを望みては
まなびの園としたいよる
われらの母校気賀小学校
覚えているのは1番の歌詞だけ。気賀小学校校歌です。