2020年04月28日
我が故郷の「姫街道」を歩く⑧―一里塚跡
旧東海道のあちらこちらで見てきた一里塚跡が、旧姫街道の老ヶ谷(おいがや)にもありました。「老ヶ谷で生まれ育ったのに、知らなかったのか?」と笑われてしまうかも知れませんが、老ヶ谷は広く、開墾(南平)からここまではちょっと・・・。
現地に建てられていた「老ヶ谷の一里塚と長坂」の解説看板によれば・・・
ここはかつて、江戸から六十八番目の一里塚がありました。『宿村大概帳』には『木立松、但、佐之塚ハ気賀村地内、右之塚ハ中下刑部村地内』と記されていて、道の両側に松の木を植えた築山があったことがわかります。近くには富士見茶屋と呼ばれる茶屋もあったと伝えられています。
現地に建てられていた「老ヶ谷の一里塚と長坂」の解説看板によれば・・・
ここはかつて、江戸から六十八番目の一里塚がありました。『宿村大概帳』には『木立松、但、佐之塚ハ気賀村地内、右之塚ハ中下刑部村地内』と記されていて、道の両側に松の木を植えた築山があったことがわかります。近くには富士見茶屋と呼ばれる茶屋もあったと伝えられています。
・・・とのこと。旧東海道の68番目の一里塚は舞阪。当然ですが、納得できる位置です。現在、東側には木が茂り、ここから富士山を見張らすことはできませんでした。