2020年05月07日
我が故郷の「姫街道」を歩く⑰―「金襴の池」跡
刑部城跡の西側には、城下橋のすぐそばには「金襴の池」跡があります。
金襴の池
昔、この辺りには美しい金襴の蛇が住む大きな池がありました。
今から四百余年の昔、この近くに刑部城という小城があり、城主が数十の城兵を擁して守っていました。
その頃、浜松城に移って来た徳川家康は、その勢力を伸ばそうと戦いを繰り広げ、ついに家康の配下が多くの兵を率いてこの城に攻め込んできました。その勢いはものすごく、ひとたまりもなく敗れてしまいました。
その時、刑部城主には一人の美しい姫がおりましたが、姫は敵兵にかかって恥をさらすのを嫌いこの池に入って金襴の蛇に姿をかえ、池に住んでいると言うお話です。
また、この池には一つ目小僧がいて時々日向ぼっこをしに姿を現したとか。これが世に言う河童だったのでしょうか。あるいは、姫の家来が姿を変え、姫に仕えていたのでしょうか。
しかし、今はこの金襴の池も埋め立てられ現在は残っていません。
金襴の池
昔、この辺りには美しい金襴の蛇が住む大きな池がありました。
今から四百余年の昔、この近くに刑部城という小城があり、城主が数十の城兵を擁して守っていました。
その頃、浜松城に移って来た徳川家康は、その勢力を伸ばそうと戦いを繰り広げ、ついに家康の配下が多くの兵を率いてこの城に攻め込んできました。その勢いはものすごく、ひとたまりもなく敗れてしまいました。
その時、刑部城主には一人の美しい姫がおりましたが、姫は敵兵にかかって恥をさらすのを嫌いこの池に入って金襴の蛇に姿をかえ、池に住んでいると言うお話です。
また、この池には一つ目小僧がいて時々日向ぼっこをしに姿を現したとか。これが世に言う河童だったのでしょうか。あるいは、姫の家来が姿を変え、姫に仕えていたのでしょうか。
しかし、今はこの金襴の池も埋め立てられ現在は残っていません。
ただし、埋められた池の跡は駐車場となり、解説看板が建てられているだけでした。