2020年07月25日
我が故郷の気賀(きが)を歩く⑩―歴史に学ぶ「浜松・細江神社」

静岡県・浜名湖の北岸近く、浜松市北区にある細江神社は、天変地異をきっかけに創建された。1498(明応7)年の旧暦8月、後に「明応地震」と呼ばれる推定マグニチュード(M)8.0~8.4の大地震が太平洋沿岸を襲った。淡水の浜名湖では南岸が陥没して切れ目(今切口)ができて遠州灘とつながり、湖に海水が流入。遅れて大津波が発生した。
この津波により、浜名湖周辺では1万人以上が亡くなったと伝わる。浜名湖南西部の同県湖西市新居町にあった角避比古(つのさくひこ)神社は社殿もろとも流されたが、ご神体だけは対岸の伊目(浜松市北区)に漂着した。そこで地元民が祭ったが、12年後の地震でまたもや流され、今度は気賀(同区)の赤池にたどり着いた。地元民が「奇跡のご神体」として大事に祭ったのが、細江神社の始まりとされる。
藤野信幸宮司は「地震の神様を祭る神社は、全国でもかなり珍しい。阪神大震災や東日本大震災の後、参拝客が増える傾向があった」と話す。
毎年7月第3土、日曜にある例祭「祇園祭」は、地震と津波に耐えたご神体への敬意を込めて盛大に開かれる(新型コロナウイルスの影響で今夏は規模を縮小)。1707(宝永4)年の大地震(M8.6)の被害により、祭りは40年ほど中断されたが、再興時には新居の住民がみこしや太鼓などを奉納して祝ったと伝わる。その太鼓は神社内に今も残る。(7月20日付「中日新聞」より)
細江神社が祀られているのは、私が通った気賀幼稚園の隣り。子どもの頃の私は、そんな神社だとは知らずに遊んでいました。