2020年04月25日
我が故郷の「姫街道」を歩く⑤―忠魂碑
つまり、これは奥山方廣寺管長として知られた足利紫山(1859~1959)が書いた文字。101歳まで生き天寿を全うした禅宗の僧の書は、あちこちで目にする機会がありますが、ここでさらに気になったのは「前」の字です。
そこで、足利紫山について調べてみると、足利紫山は昭和16年(1941)に奥山方広寺だけにとどまらず、臨済宗十三派合同の初代臨済宗管長に就任したのですが、戦後間もない同21年(1946)に方廣寺派管長を辞し大分市萬壽寺に帰山。その後、再び昭和27年(1952)に方廣寺派管長に再任しています。
そして、忠魂碑が建てられている基礎石に使われている赤石チャートは、多分、私の祖父が寄贈したもの。生前、そんな話を聞いていましたが、自分の目で確認したのは、これが初めてでした。