2017年12月16日

原田久吉翁の面影を探る④―初代「原田橋」

(北遠中部風景)天龍川ニ架スル原田橋 大正4年(1915)に架けられた初代「原田橋」の姿は、古い絵葉書の中に見ることができます。

 「(天龍川沿岸)雄大ナル南天龍峡ニ架セル原田橋」と題し、和服姿の女性が6人。日傘を差した人もいますので、まさに観光写真。文字は右から左へと書かれていますので、初代「原田橋」竣工直後、大正か昭和の初期の写真と思われます。

(天龍川沿岸)雄大ナル南天龍峡ニ架セル原田橋 「北遠中部風景 繪葉書(十枚組)」の中にも初代「原田橋」が登場します。

 また、初代「原田橋」が完成した年の4月28日には、盛大な開橋式が催されました。

開橋式 開橋式とは、橋の完成を祝う竣工式のこと。多くの人が渡る頭上には「原田橋」の銘板が誇らしげに掲げられています。

 初代も2代目も「原田橋」はトラス吊り橋であり、一見同じように見えますが、2代目「原田橋」が上路式トラスであるのに対して、初代「原田橋」は下路式。橋柱も少し違っているようです。

 それにしても、美しい橋。原田久吉翁の名前を冠した「原田橋」なら、こうでなくてはいけません。

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