2017年04月04日
掛塚の繁栄を振り返る⑧―郵便・電話の歴史
掛塚の池田家所蔵の引き札「掛塚砂町 杉本屋商店」「掛塚本町 田中屋商店」には、それぞれ「改正小包賃金表」「郵便物早見」が刷り込まれ、江戸時代の飛脚制度から、近代郵便制度に移行し、地方へと普及した時代の流れを感じさせられます。
また、「掛塚本町 田中屋商店」に描かれた女性は、デルビル磁石式と呼ばれる壁掛電話機の受話器を握っています。この懐かしい電話機が普及したのは、明治29年(1896)から昭和40年(1965)頃まで。
昭和10年(1935)築の旧掛塚郵便局内にも、数人の電話交換嬢が働いていたとのことですが、引き札に電話番号が刷り込んではありませんので、まだまだ一般家庭には普及してはいない時代の引き札だと思われます。
「掛塚砂町 杉本屋商店」の引き札に刷り込まれた「改正小包賃金表」には、「内地台湾樺太間及清韓」など「内地」の文字が見られます。「内地」とは大日本帝国憲法下において、行政上日本本土とされる地域。外地ではあっても日本が領有していた「台湾樺太間及清韓」には、内地と同じ料金が適用されていたのです。
また、「掛塚本町 田中屋商店」に描かれた女性は、デルビル磁石式と呼ばれる壁掛電話機の受話器を握っています。この懐かしい電話機が普及したのは、明治29年(1896)から昭和40年(1965)頃まで。
昭和10年(1935)築の旧掛塚郵便局内にも、数人の電話交換嬢が働いていたとのことですが、引き札に電話番号が刷り込んではありませんので、まだまだ一般家庭には普及してはいない時代の引き札だと思われます。
「掛塚砂町 杉本屋商店」の引き札に刷り込まれた「改正小包賃金表」には、「内地台湾樺太間及清韓」など「内地」の文字が見られます。「内地」とは大日本帝国憲法下において、行政上日本本土とされる地域。外地ではあっても日本が領有していた「台湾樺太間及清韓」には、内地と同じ料金が適用されていたのです。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:32│Comments(0)
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