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2018年01月28日

佐久間・浦川の町歩き③―共同井戸、水神と源泉跡

共同井戸 以前、浦川在住の伊東明書さんが作ってくれた資料には、次のような記述があります。

 山田工業所(山田久志社長)によると、城霊苑から坂上通にかけて地下に粘土層がある。この層が水脈を覆い、掘井戸を妨げ、大正元年の大火では132戸を焼いた。

 技術も用具も劣る時代に、井戸の開削は負担が大きい。井戸は財宝であった。

共同井戸 共有の井戸は釣瓶の時代から、昭和10年代に手押しポンプに移り、戦後は電力をとりいれた。のちに、町水道の普及が共同井戸の役目を閉じた。


 以前、伊東さんの案内で浦川を散策した時にも、現在も残るいくつかの共同井戸を見ることができましたが、その多くは廃止、撤去されているようです。

「水神」の文字碑 尻平沢(しっぺいざわ)踏切を越えた辺りには、「水神」の文字碑があります。この水神は「井戸神様」と呼ばれていたとのことで、現在はコンクリートで囲まれてしまい面影はありませんが、大岩の下から豊富な水が湧き、柄杓で汲みに来る人もいれば、竹の樋で町まで引いたこともあったそうです。

 近くには、各戸に風呂がなかった時代には、銭湯もあったと言いますから、井戸から水を汲み上げるのに苦労した地域の中で、水脈に当たった地からの水量の多さが想像できます。


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