› 自然と歴史の中を歩く! › 出かけよう!北遠へ › ウォーキング・ぶらり旅・町歩き › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 佐久間・浦川の町歩き⑪―尾上榮三郎塚と双体道祖神

2018年02月05日

佐久間・浦川の町歩き⑪―尾上榮三郎塚と双体道祖神

尾上榮三郎塚 人ひとり通るのがやっとの山道を歩き尾平峠に登れば、公園のようになった一画に「尾上榮三郎塚」の石碑や「浦川歌舞伎発祥の地」の石柱、藤島恒夫が歌った歌謡曲「榮三郎ながし」の歌碑などが並んでいます。

尾上榮三郎塚 江戸歌舞伎の名優であった四代目尾上榮三郎が眠る塚。浦川の町並みを見下ろす尾平峠にあります。安政5年(1858年)、江戸大火のため一座を組んで地方巡業の旅に出た榮三郎は、信州飯田で病に倒れ、名医・三輪見龍を尋ねてこの浦川にたどり着きました。見龍や村人たちの献身的な治療により一時は快方に向かいましたが、自身が不治の病と悟った榮三郎は、命あるうちに今生の思い出と村人の恩に報いるため、病身のまま浦川旭座の舞台に立ちました。そしてその舞台上で生涯を閉じ、尾平峠に埋葬されたのです。現在も、毎年秋分の日には榮三郎の供養がこの尾平峠で行われ、9月第4土曜日には浦川旭座(旧浦川中学校体育館)で榮三郎追善公演が行われるなど、歌舞伎が浦川の文化として継承されています。(2011年2月発行「広報はままつ」天竜区版より)

双体道祖神 栄三郎碑の裏側には、秋葉街道の旅人が遊ぶ賭博場があったと伝えられ、通称「バクチ平」。舟形光背の石仏があり、合掌した2体の姿が刻まれています。一見、地蔵のようにも見えましたが、向かって左側の像は、肩にかかる髪が刻まれていましたので、男女1対の「双体道祖神」のようです。

 そして、尾平峠を越えた先は秋葉山へと続く道です。

 【関連記事】佐久間・浦川の町歩き①―JR浦川駅「浦川停車塲」



同じカテゴリー(出かけよう!北遠へ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
佐久間・浦川の町歩き⑪―尾上榮三郎塚と双体道祖神
    コメント(0)