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2017年12月26日

原田久吉翁の面影を探る⑭―カグラサンで巻き上げた・・・

二本杦峠新道碑 県道290号水窪羽ヶ庄佐久間線、通称「二本杉峠新道」は、原田久吉翁の寄付金によって大正15年(1926)に完成しました。

 大正14年頃までは佐久間から峠を越すのには大変でした。道とは名ばかりの水のない沢でも思わすような道でした。

 道路も着々工事が進み開通の運びとなり、原田翁が道路の出来方を検証に来られたので中部まで迎えに行き、その時は背中に○の中に原田と染め抜いた揃いのはっぴで翁を駕籠で担いだのです。

 道路もでき、記念碑もできてきたので台石を中野寅造氏前の沢から、その石を道路まで出すのに十人工(にんく)かかり、道路からソリに乗せ、前でカグラサンで巻き、後ろで2、3人が、テコでこじ、峠まで運搬するのだが、時々ソリがつぶれては又、作り石屋の音頭で「ヨイトマケ、ソレマケ、マイタ、マイタ、マイテトルのが糸屋の娘だ。ソレマケ、ヨイトマケ」の掛け声に合わせて数十人が巻き上げるのだ。一日中巻いてもなかなか進まず、何日も何日もかかって、ようやく峠まで巻き上げたのです。

二本杦峠新道碑の前で 村の人が集まって、ご馳走の支度に豚を殺して料理に使うのだが、殺し損ねて豚がキーキー鳴いて大暴れしたのを覚えています。折詰も村の器用な人たちが作るのです。のし紙を私に書け、模様は菊の花を描けと言われ何十枚ものし紙を書いたがうまく書けなくてえらい目にあったことを今でもハッキリ覚えています。

 五十年前のことを今の人が聞いたら笑うでしょうが、実際ですよ。ほんとに、そうそう、権市サ(澤上)が串芋焼き菰で周囲を取り囲みほいろの鉄棒をならべ、その上で焼くのです。蓄音機の音楽を草むらの中でやり、式が始められたのです。投げ餅も終わり記念写真を撮り、式が終わったので折詰を来賓に渡す。原田翁代理の方が部落の人たちに手製の折詰を持ち串芋を食べている風景は又、見ものでした。(「羽ヶ庄の歴史と民話」より)


 「二本杦峠新道碑」は、「カグラサン」で巻き上げたもの。昭和45年の道路工事で、現在の場所に移転しています。「カグラサン」とは、重いもの引いて移動するときに使われた人力ウィンチ。新道開通が、地元の人々にとって、いかに大事業であったかが想像できます。

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