2017年10月08日
「遠州の小江戸」掛塚の文化遺産・津倉家住宅㉗―ぼかしガラス
旧津倉家住宅のガラスに興味津々。すべてのガラスが住宅建築当時(1889)のものであるのかは不明ですが、建具が当時のものだとすれば、ガラスが嵌められていたことは確かだと思われます。
1階土間に面した居間のガラスは、下のつや消し部分から上の透明部分との境目にグラデーションがかかり、うっすらぼかしてあります。
擦りガラスに使われるサンドブラストの機械が輸入されたのは、明治30年(1897)頃とのこと。このぼかしガラスはその後に作られたものか?あるいは舶来ガラスだったのか?サンドブラストではなくて、エッチングによるものか?
津倉家住宅のガラスと言えば、洋間に使われたチェコ製のボヘミアグラスが注目されていますが、それ以外の障子や窓に嵌められた板ガラスにも時代の最先端を感じさせる技術が詰め込まれているようです。
住宅を建てたのは、地元十郎島の宮大工・曽布川藤次郎翁だと言われています。藤次郎翁は同時期に王子製紙気田工場を建築し、今も残る事務所棟(製品倉庫)にはガラス窓が設けられていますので、津倉家住宅も板ガラスを取り入れた明るい家にしたいと思ったのは当然のことだったのかも知れません。
1階土間に面した居間のガラスは、下のつや消し部分から上の透明部分との境目にグラデーションがかかり、うっすらぼかしてあります。
擦りガラスに使われるサンドブラストの機械が輸入されたのは、明治30年(1897)頃とのこと。このぼかしガラスはその後に作られたものか?あるいは舶来ガラスだったのか?サンドブラストではなくて、エッチングによるものか?
津倉家住宅のガラスと言えば、洋間に使われたチェコ製のボヘミアグラスが注目されていますが、それ以外の障子や窓に嵌められた板ガラスにも時代の最先端を感じさせる技術が詰め込まれているようです。
住宅を建てたのは、地元十郎島の宮大工・曽布川藤次郎翁だと言われています。藤次郎翁は同時期に王子製紙気田工場を建築し、今も残る事務所棟(製品倉庫)にはガラス窓が設けられていますので、津倉家住宅も板ガラスを取り入れた明るい家にしたいと思ったのは当然のことだったのかも知れません。