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2019年05月28日

名望家・原田久吉翁の足跡を辿る⑥―「原田翁銅像」の台座と功績碑

「原田翁銅像」の台座 中部(なかべ)へと戻った私たちは、車を旧中部小学校跡に止め、「原田翁銅像」の台座と功績碑とを眺めました。

 伊藤明書先生の「かしのき史塾」№202によれば、「中部尋常高等小学校校舎落成式及び原田久吉翁銅像除幕式」が挙行されたのは大正12年(1923)4月30日。そして、「原田翁銅像降納式(戦中の金属供出)」は昭和17年(1942)2月23日。当時の情勢に抗うことはできなかったとは思いますが、その間わずか19年とは寂しい話です。

功績碑 残された銅像の台座の横にある功績碑は、大正11年10月の建立。「能く言ふ者多く能く行ふ者少し」の書き出しに始まり、ここに「鋼橋架設を計畫し約六十有餘間の原田橋を架し」の後、「河内川に第二原田橋を架け」と刻まれていますので、県道290号水窪羽ヶ庄佐久間線に架かる橋が「第二原田橋」であるのは間違いありません。

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