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2018年04月13日

続・原田久吉翁の面影を探る①―松茂神社に掲げられた市河得菴書の額

松茂神社 佐久間町中部の平沢に鎮座する馬背神社の境内社の1つが、原田久吉翁を祀るという松茂神社。正面軒下に掲げられた額の神社名の右下には「市河得庵敬書」とあり、「松茂神社」と揮毫したのは、幕末・明治の書家・市河得庵であることが分かります。

「松茂神社」の額 市河得庵について調べてみると、天保5年(1834)に江戸下谷で生まれた書家とされ、文久2年(1862)からは加賀前田家に奉職し、明治維新後に東京へと戻り、、明治25年(1892)からは居を横浜に移しています。

市河得庵敬書 北遠の山里である佐久間出身の篤志家・原田久吉翁を祀る神社の額の字を書いたのは、原田久吉翁が佐久間同様、発展に寄与した港町・横浜の高名な書家だったのです。

 原田翁が居住し、亡くなったのは横浜。墓所は横浜の本覺寺にあり、その墓に刻まれた墓碑銘を書いたのも何と市河得菴。「松茂神社」の額は、原田翁と深いつながりができた市河得菴が乞われて書いたものと考えて間違いないようです。




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