2019年05月26日
名望家・原田久吉翁の足跡を辿る④―二本杦峠新道碑
昼食を済ませた私たちは、「第二原田橋」を渡り、県道290号水窪羽ヶ庄佐久間線を通って二本杉峠へ。そして、ここに建てられているのは「二本杦(すぎ)峠新道碑」です。
原田久吉翁を顕彰する碑はたくさんありますが、原田翁自らが書いた文字が刻まれた碑は多くはありません。この碑の「二本杦峠新道碑」の文字は「九十一翁二楽書」とあり、二楽=原田翁が書いたもの。しかも、神奈川県産の根府川石が使われ、碑文を彫ったのは横浜の本覺寺にある原田翁の墓の墓碑銘と同じ石工・露木宗吉です。
原田久吉翁を顕彰する碑はたくさんありますが、原田翁自らが書いた文字が刻まれた碑は多くはありません。この碑の「二本杦峠新道碑」の文字は「九十一翁二楽書」とあり、二楽=原田翁が書いたもの。しかも、神奈川県産の根府川石が使われ、碑文を彫ったのは横浜の本覺寺にある原田翁の墓の墓碑銘と同じ石工・露木宗吉です。
もしも、原田翁が金を振る舞うだけの人物であったとしたら、横浜で造られた「二本杦峠新道碑」が海を渡り、人々の手によって佐久間の山奥まで運ばれて来ることはなかったと思います。人々がそれを成し遂げた裏には、原田翁に対する尊敬と深い感謝の念があったはず。これを、原田翁の玄孫である原田さんたちは、何を考えながら眺めたのでしょうか?