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2018年04月25日

続・原田久吉翁の面影を探る⑬―中部邨新道碑

中部邨新道碑 原田久吉翁の功績を刻んだ碑と言えば、中程で折れたままネットに立て掛けられている「中部邨新道碑」があります。内容については、現在の国道473号の「ほき洞門」から中部に通じる道の整備に、原田翁が資金提供をしたこと記しているようですが、まだ、ちゃんと読み取ってはいませんでした。

 そこで、今回、金属ネットに顔を近づけて、枝に邪魔されながらも、部分的にではありますが読んでみました。

 すると、先ず「拝文 従七位市河三鼎書」の文字が。「市河三鼎」とは馬背神社の境内社である松茂神社の額の文字を書いた市河得庵と同一人物であることが分かりました。

中部邨新道碑 次には「農商務大臣従二位勲二等陸奥宗光篆額」とあり、文字は読めませんが新道碑の篆字を書いたのは、伊藤博文内閣の外相として活躍したあの陸奥宗光だったのです。

 陸奥宗光が農商務大臣を務めたのは、明治22年(1889)12月24日~同24年(1891)5月6日の第1次山県内閣の時。碑文の中には「明治二十四年」の文字も見え、「従二位勲二等」の時期から考えてみても、この碑が建てられたのは明治24年のことと考えて間違いなさそうです。

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