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2017年06月22日

縣藤七郎の「懐恩碑」を訪ねる①―縣藤七郎

縣藤七郎の「懐恩碑」 浜松市中区森田町にある縣藤七郎の「懐恩碑」に長谷川貞雄の名が刻まれているとの情報を得ましたので、現地に向かいました。

 「情報」と言っても、森田町にある石碑と言うだけのこと。どこにあって、どのくらいの大きさのものかなどについては、まったく予備知識はなし。見つけられるのかどうかも不安でしたが、ありました!

 「懐恩碑」は縣家の前に建てられたとの情報でしたが、縣家はすでにありません。

 碑文の文字を辿ってみると・・・

 安政5年(1858)、「往時濱松城西伊場村」へ引佐の井伊谷から有志たちと移住して来た縣藤七郎が、草を刈り石を除いて「有廃田十餘頃」を開田することに成功し、屯田の意から「毛利多⇒森田」と地名を付けた・・・。

 その功績を讃えて「明治三十二年歳次己亥暮之春」に建てられたのが、この「懐恩碑」。藤七郎が他界したのは明治29年(1896)「八十八翁」とありましたから、ずい分長生きをしたようです。


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