2017年05月14日
郷土の偉人・長谷川貞雄について振り返る⑭―蒲神明宮「みいの燈籠」

通称「みいの燈籠」と呼ばれている燈籠は、拝殿前に左右1対で建てられています。角柱の竿の碑文は風化により判読が難しいのですが、向かって左の燈籠の正面には、確かに「明治三十三年十月 正四位長谷川貞雄」と刻まれていました。
そこで、社務所を訪ね、事情を説明したところ、市立蒲公民館で発行した「わがまち文化誌 袖紫ヶ森(そでしがもり)」の1ページをコピーしてくれました。
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向かって右の燈籠に刻まれた文字は竿の3面に分かれ、「わがまち文化誌 袖紫ヶ森」によれば、碑文は次の通り。
新に業を起し多くの人に職を授け家を賑は
し國を冨ます者ありしと聞かば誰かは感賞せ
ざらむ 茲に遠州上中島村に小山みゑといふ女
あり往にし嘉永の頃手づから木綿織布を織り
布に鬻ぐ業を始めれば近郷漸くこれに習ふ
者出で来にけり 明治の御代となりて磯辺遠山
等外七人の者と力を協せ機業の改良を謀り
遂に同業者を糾合して永隆社を組織し粗製
濫造の弊を矯正し専ら斯業の擴張に励み勤
めしかば遠州木綿織の名は普く世に知られ
販路大に開けて重要な國産となりぬるは最も
尊く最も愛たき事になんありける此度永隆
社の人々と謀りて石燈籠二基を
蒲大神の廣前に献建して弥栄に斯業の
繁栄を祈り奉り且つは此業に力を尽せし
人々の功労を永く後世に傳えまほしとて其由
を書てよと請はるゝ儘喜び諾なひて筆とる
ものは長谷川貞雄なり
左の燈籠には、
燈火のあかき誠を捧げ以て
祈る心は神ぞしるらむ
織物の業にいそしむ人々の
いさをゝ照らせ神のともし火
明治三十三年十月 正四位長谷川貞雄
・・・の歌が刻まれているようです。