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2017年05月11日

郷土の偉人・長谷川貞雄について振り返る⑪―従五位山岡鐡太郎書の扁額

八雲神社 古いカセットテープに録音されていた「昔を偲んで~長谷川貞雄のお話」から書き起こした話の中に、「山岡鉄舟、あの衆はこの川袋に隠れていただに」というくだりがありました。

 別の日に訪れた川袋の八雲神社の拝殿奥に掲げられている「八雲神社」の扁額には、「従五位山岡鐡太郎書」の文字が見えます。

掛塚貴船神社の扁額 思い出したのは、掛塚貴船神社の扁額。「貴布祢神社」の墨跡は「正五位山岡鐡太郎謹書」。この額は廻船問屋「江戸屋」の津倉世雄による寄付でした。

「八雲神社」の扁額 そして、貴船神社の山岡鐡太郎(鉄舟)の位階が「正五位」であるのに対し、八雲神社では「従五位」。「従五位」に叙せられたのは明治14年(1881)でしたから、この扁額はおそらく長谷川貞雄による奉納ではないでしょうか?

従五位山岡鐡太郎書 元幕臣の鉄舟は、明治維新後、徳川家達に従って駿府に住み、静岡藩藩政補翼や静岡県権大参事を務めていた関係もあり、県内には鉄舟の書がたくさん残されています。

 それにしても、「山岡鉄舟、あの衆はこの川袋に隠れていただに」とは、どこに隠れていたのでしょうか?





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