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2017年05月20日

郷土の偉人・長谷川貞雄について振り返る⑳―宇布見・中村家

中村東海 長谷川貞雄が、雄踏町宇布見の名門・中村家から八雲神社神主の家に養子に入ったことは、すでに紹介した通り。しかし、当主である中村家28代貞則(1821~1889)は、逆に長谷川家から中村家への養子であり、長男であった貞雄を長谷川家に返す形で養子に出し、貞雄と同様に幕末には遠州報国隊へも参加していました。

宇布見の中村家 そして、中村家には、29代となる東海 (1835~1922)を娘婿に迎え、東海もやはり遠州報国隊に参加していましたので、五社公園にある「戊辰之役報國紀念碑」には、中村東海の名が刻まれていました。

 東海の名が刻まれていたのは、「發起人」と「寄附者」としての2ヶ所。金額は「廿円」です。

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