2025年01月18日
「砥鹿神社」里宮を訪ねる⑦―道路元標とマンホール蓋
砥鹿(とが)神社里宮から南へと出たところに、「一宮村道路元標」と刻まれた石柱が建てられているのに気づきました。道路元標とは、大正8年(1919)に制定された旧道路法に基づき道路の起終点を示すために建てられた標識。里宮があるここは、現在「愛知県豊川市一宮町」ですが、かつては「宝飯郡一宮村」。「宝飯郡一宮町」となったのは昭和36年(1961)で、「豊川市一宮町」となったのは平成18年(2006)。
この元標が建てられたのは、もちろん昭和36年(1961)以前であるのは間違いありません。
そして、足元にあったマンホールの蓋のデザインは、現在の豊川市のマンホールのデザインとは違っています。真ん中にある町章は、カタカナの「イ」と「チ」を合わせてデザイン化した旧一宮町のもの。
そして、町章の周りにデザインされているのは、旧一宮町の町の木とされたモクセイの花と葉。すぐ近くには、削られたような凹凸の蓋もありましたので、2つ並べて紹介します。
ついでですから、現在の豊川市のマンホールの蓋のデザインは、豊川稲荷のキツネと豊川で飛び跳ねている魚。そして、後ろに見えるのが、砥鹿(とが)神社の神体山でもある本宮山ですから、砥鹿神社里宮の近くにあっても問題はありません!
この元標が建てられたのは、もちろん昭和36年(1961)以前であるのは間違いありません。
そして、足元にあったマンホールの蓋のデザインは、現在の豊川市のマンホールのデザインとは違っています。真ん中にある町章は、カタカナの「イ」と「チ」を合わせてデザイン化した旧一宮町のもの。
そして、町章の周りにデザインされているのは、旧一宮町の町の木とされたモクセイの花と葉。すぐ近くには、削られたような凹凸の蓋もありましたので、2つ並べて紹介します。
ついでですから、現在の豊川市のマンホールの蓋のデザインは、豊川稲荷のキツネと豊川で飛び跳ねている魚。そして、後ろに見えるのが、砥鹿(とが)神社の神体山でもある本宮山ですから、砥鹿神社里宮の近くにあっても問題はありません!
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:01│Comments(0)
│歴史・産業遺産・寺社・文化財