赤い大鳥居をくぐった先には、石鳥居が建てられていました。後ろ側から見上げてみると、「安政二乙卯年六月」の文字が刻まれていましたので、西暦1855年の建立と分かりました。
そして、その先の右脇には赤い鳥居が建てられ、「岩戸神社遙拝所」の看板も。つまり、ここから見下ろした先に、大己貴命(おおなむちのみこと)が登って国見をし、「穂の国」(愛知県東三河地方)を造ったとされる「国見岩」と岩戸神社が祀られているということ。
砥鹿(とが)神社が「三河国一宮」とされているのには、こんな由来があるのです。ちなみに、里宮が祀られているのは豊川市一宮町。地名の由来も、砥鹿神社が「一宮」だったからですね。