2019年10月30日
北遠の庚申信仰③―「南無梵天帝釈金剛童子・・・」

お庚申様の方は、宿で祭った厨子(ずし)の扉を開けて、中に入ってる仏さんだの、これよぉ拝んでから講というやつをやって来たゞいの。まぁ今じやぁ茶碗酒よぉ飲むっていうことだがの。
そうだもうちぃっと話よするとぉ、お日待ちとお庚申の当たり日が一緒にならん様にしての、順番に掛け軸と厨子よぉ回してたゞよ。
掛け軸の神様のお日待ちの方は、二礼二拍手して拝んで、そのあと直ぐとお神酒と神饌物の赤飯か白飯を、ほんのちぃっと分けてもらって食べて式よぉ終る。
お庚申の方はさ、厨子のお庚申様に向っての、まず次の宿の番の人が呪文かな、いや神様の名前だいの、それよぉ唱える「南無梵天帝釈金剛童子・・・・・」っての。とにかく六回唱える。それよぉ組の衆が一緒んなって唱える。それでお終い。それからお日待ちと同んなじ様にお神酒と赤飯か白飯が、ちぃっとっつ配られて式やぁ終る。そんでそのあたぁ講の本番となるだいの。それが今じやぁ組内の寄り合いも兼ねてゝ、組長やなんかゞ皆んなに伝えたいことがあれやぁ、それの話がある。そんでまぁそんなこんなで宿が用意したお酒や料理が出て、まぁ小宴会になるんだいのぉ。(木下恒雄著「山の人生 川の人生」より)
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庚申の夜の過ごし方は、地域によって若干の違いがあったはず。ですから、春野町領家での聞き取りが標準であるとは言えないかも知れません。
娯楽の少ない時代でしたから、信仰や信心と言うよりも、地域のつながりを大事に考えての緩やかな集まり。多くは数少ない楽しみの1つとして催されていたのだと思います。
写真は、両島の大園トンネルを出たところに立つ庚申塔です。本尊である六臂の青面金剛童子が持っているのは、右手に法輪と羂索(綱)、左手には三叉戟と金剛杵。胸の前の二臂は合掌しているように見えます。