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2018年02月11日

熊(くんま)の町歩き⑤―庚申仏と馬頭観音

庚申仏と馬頭観音 熊(くんま)の六所神社の参道脇には、庚申仏の青面金剛童子と並び数体の馬頭観音が祀られています。かつての熊は、秋葉道の宿として賑わった地ですから、道中で倒れた馬たちの供養として馬頭観音が祀られていても何の不思議もないのですが・・・。

馬頭観音 青面金剛童子の左側に立つ馬頭観音は、頭上に3つの馬頭を戴き、右肩に刻まれた文字は、「明治廿九年二月初午」と読めます。当時の熊村は、どんなところだったのでしょう?

 熊村 明治22年~昭和31年の自治体名。はじめ豊田郡、明治29年からは磐田郡に所属。大栗安村・神沢村・熊村が合併して成立。大字は旧村名を継承。役場を大字熊に設置。明治24年の戸数334・人口1,693、厩120。世帯・人口は大正9年461・2,460、昭和25年434・2,635.地内は田畑が少なく、周囲は山林で、杉・檜などの良材のほか椎茸・木炭・楮・三椏・樹皮・茶・干柿・繭などを産出。また馬を飼養する農家も多かった。(「角川日本地名大辞典22静岡県」より)

馬頭観音 いかがでしょうか?明治24年の資料では、「戸数334」に対し「厩120」。3軒に1軒以上が馬を飼っていたというのです。これは、決して突出した数字ではありません。例えば同年の浦川では「戸数421・厩302」であったことからも、北遠の路傍に立つ「馬頭観音」は、単なる「道中で倒れた馬たちの供養」だけが目的であったとは思えないのです。

 明治29年(1896)2月―馬頭観音が建立された同年の4月1日、豊田郡熊村は「磐田郡」へと編入されました。

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