› 自然と歴史の中を歩く! › 出かけよう!北遠へ › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 水窪半島の庚申堂③―芸者衆が出した「一金貳拾七圓五拾銭也」

2018年03月26日

水窪半島の庚申堂③―芸者衆が出した「一金貳拾七圓五拾銭也」

「大舜」の鏝絵 「半島庚申祠壁面鏝絵」は正面に「大舜」、向かって右に「松に鶴」と「竹に雀」、左には「牡丹に鶏」と「菊に小禽」。鏝絵の上にはネットが張られていますので、はっきりと見られないのが残念です。

 そして、「芸者さんたちが手を合わせた水窪の『庚申様』」で紹介した通り、軒下には「一金貳拾七圓五拾銭也」と書かれた木札が掲げられ・・・

「一金貳拾七圓五拾銭也」の木札 松月内 愛子 市太郎 政勇 梅香 定千代 久子 ちよ・・・。その後も、白神屋 やかましや、太田屋、朝日屋、久松・・・と、料亭と芸者の名が続いています。

 これらのズラリと並ぶ名前が、かつて林業で栄えた水窪で働いていた芸者さんたち。今でも、「水窪まつり」の仮装コンクールには、決まって芸者姿の男性が参加しているのには、そんな歴史的な理由もあるのです。

 27円50銭が、今の貨幣価値ではいくらになるのでしょうか?



同じカテゴリー(出かけよう!北遠へ)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
水窪半島の庚申堂③―芸者衆が出した「一金貳拾七圓五拾銭也」
    コメント(0)