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2018年03月25日

水窪半島の庚申堂②―芸者衆が手を合わせた

青面金剛童子 以前、水窪半島(はんじま)の庚申堂前で出会った地元の人から聞いた話。「林業で繁栄した戦前戦後の水窪には、旅館や置屋があって、芸者さんや夜の商売の女性もたくさんいたんです。そんな女性が仕事に出かける前に、必ず手を合わせていましたよ。この庚申堂も煌びやかでしょう?庚申様と夜の商売とは、関係があるんですかね?」。

 考えてみれば、庚申信仰と言えば、元来、「庚申(かのえさる)の夜に眠ると、三尸(さんし)の虫が体内からぬけ出してその人の罪科を天帝に告げ口する」という信仰から、三尸の虫が体内から出て来られないようにするため、夜明かしで宴会をする、と言うのも。さらに、庚申の夜に男女が営みを持とうものなら、生まれた子が泥棒になると戒める教えもあり、何となく夜の商売と関係なくもありません。

 そんな理由であるかどうかは定かではありませんが、芸者さんなどの間にも庚申信仰が広まった形跡があります。水窪町半島に立つ、この「青面金剛童子」の石像には、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿や夜明けを告げる鶏などの決まり物が彫られていますので、江戸時代の中期以前に遡ることはないと思います。むしろ、状態の良さから推測すれば、庚申堂の鏝絵同様、昭和初期の建立であるのかも知れません。



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