2019年10月29日
北遠の庚申信仰②―庚申の夜にだよ、子供ぉ作るとの・・・

確か、以前は猿田彦の絵の入った御札が、台所の何処っかに貼ってあった様な気がするがの、今ぁちょっと見当たらんが、わしの覚え違いかな。
ほんとに聞いたとこじやぁだよ、お腹に子供のある女(ひと)か、いや、そのお庚申の夜にだよ、子供ぉ作るとの、その子供は生まれて大人になった時に盗っ人になって、そんなことぉ真剣なって言ってたのも知ってるの。
わしらにぁそれが嘘かほんとか判らなんだがの、年寄り衆の中にやぁ。それよぉ笑って話してる人も居たゞが、またぁそれよぉ真剣になって聞いてる女衆も居ったゞよ。
昔やぁ、お庚申の夜の人の集まりというのは、それやぁ賑やかにやぁ賑やかだったでの。春だの秋だのゝ気候のえゝ時にやぁ、宿んなった家に多勢の人が集まって、わいわい皆んな浮かれもしての、好かったもんだったよ。(木下恒雄著「山の人生 川の人生」より)
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今回の青面金剛童子像は、浜松市天竜区佐久間の羽ヶ庄(はがしょう)のものです。
蓮華座の上の台座には三猿が彫られ、左右の足元には鶏。二臂は腹の前で禅定印を結び、上に挙げた二臂は右手で月輪、左手で日輪を掲げています。残る二臂は右手で剣、左手で蛇を持っています。
古川柳集の柳多留に「五右衛門が親 庚申の夜をわすれ」というのがあります。あの石川五右衛門は、庚申の夜にできた子だとのこと。要は、庚申の夜は眠らないで身を慎み、夜通し青面金剛を祀らなくてはいけない、との意味です。
庚申塔はしばしば道祖神と混同され、村境や三叉路に造立。悪疫などの侵入を防ぐと信じられていました。
それにしても、北遠の路傍での庚申塔と出会いは興味深いものです。一体、いくつあるのでしょうか?