2019年11月06日
北遠の庚申信仰⑩―ふるさとものがたり天竜「庚申の夜に」

庚申さまの正面には、青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)の姿がくっきりと刻まれ、その足元には、見猿、聞か猿、言わ猿の三猿がちょこんと座って、空(くう)を見すえている。
庚申とは、暦の上で六十一日ごとに回ってくる“かのえさる”のことである。
むかしの農山村の人々は、この夜、部落内の定められた家に集まり、お祈りをし、ごちそうを食べて夜を明かした。
これは、同じ信仰を持つ者同志が、ある場所に集まって、神仏をまつり祈る儀式、つまり“講”と言われるものであった。
庚申の夜の行事である講、“庚申講”は昔の農村では、どこでも盛大にとり行われた。
その時、まつりの対象とされる庚申さまは、天上界の王で帝釈天の使者、青面金剛童子であった。

人々は、まず掛軸に向かって、
「南無梵天帝釈青面金剛童子」
と、何度も何度も唱えて手をあわせ、それから飲食にとりかかる。
おなかをすかせて出かけて来たお客たちは、出されたごちそうを腹一杯食べると、今度は色々な物語などをし合って楽しんだ。
そのうちに眠くなってきても眠さをこらえ、ひたすら話に花を咲かせて、朝まで眠らないで過ごすのである。
これには、訳があった。
庚申の夜に人間が眠ってしまうと、その人間の体の中に住んでいる三尸(さんし)の虫が、体から抜け出て天にのぼり、天の神さまにその人の悪罪を告げて、早死させてしまうからだという。
三尸の虫は、人間を不幸におとし入れる、実に性の悪い虫であった。
人々は、その虫が体から抜け出て天にのぼらないように、庚申の夜はみんな大勢集まって、わいわい、がやがやと、過ごしたのである。
百姓の神さまとも言われる庚申さま。
また、部落の親睦と団結をねらいとした庚申講。それら信仰の名残りとしての庚申塔が、天竜市内にもまだ数多く現存している。(「ふるさとものがたり天竜・第2章上阿多古地区」より)
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六地蔵などと並んで建てられていますが、一際背の高い石塔が庚申塔です。
施主は「遠刕(州)豊田郡愛宕懐山居住 庚申衆中」とあり、右手には蛇を握り、足元の三猿の横には、「申(さる)」の次の日「酉(とり)」に因んだ鶏の図柄が刻まれています。
造立は「享保十七年壬子十月庚申日」。「享保の大飢饉」が起きた西暦1732年に当たります。