2018年01月21日
日坂宿「川坂屋」を訪ねる⑤―山岡鉄舟と巖谷一六揮毫の襖
以前「日坂宿を訪ねて⑤―『川坂屋』のヒノキ板と建具」で紹介した通り、上段の間の襖には山岡鉄舟揮毫の力強い筆跡が残されています。
4枚並んだ襖の左端には「鐵舟居士書」の文字。「丙戌」とも書かれていますので、明治19年(1886)に書かれたもの。山岡鉄舟は明治21年(1888)に死没していますので、亡くなる前々年に書かれたものです。
山岡鉄舟の筆跡が踊る裏側には、「一六居士」の書。巌谷一六(いわやいちろく)の筆跡です。
巌谷一六の書は、以前、鹿島の田代家でも拝見したことがありましたが、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれ、明治時代には内閣大書記官・元老院議官・貴族院勅選議員などを務め、「明治の三筆」の1人に数えられる書家でもありました。
襖の上の欄間には蝶が透かし彫りされ、モノクロの世界を静かに舞っていました。
4枚並んだ襖の左端には「鐵舟居士書」の文字。「丙戌」とも書かれていますので、明治19年(1886)に書かれたもの。山岡鉄舟は明治21年(1888)に死没していますので、亡くなる前々年に書かれたものです。
山岡鉄舟の筆跡が踊る裏側には、「一六居士」の書。巌谷一六(いわやいちろく)の筆跡です。
巌谷一六の書は、以前、鹿島の田代家でも拝見したことがありましたが、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれ、明治時代には内閣大書記官・元老院議官・貴族院勅選議員などを務め、「明治の三筆」の1人に数えられる書家でもありました。
襖の上の欄間には蝶が透かし彫りされ、モノクロの世界を静かに舞っていました。