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2017年04月12日

旧田代家住宅を訪ねる⑤―巖谷一六筆の扁額

旧田代家住宅 座敷の長押に掲げられている「山水含清暉」の扁額は、「一六巌谷修題」と記されているところから、巌谷修(一六)が書いたものであることが分かります。

巖谷一六筆の扁額 天保5年(1834)、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれた巖谷(いわや)修の号が一六(いちろく)。明治新政府の官吏となり、内閣大書記官・元老院議官・貴族院勅選議員などを務めましたが、「明治の三筆」の1人に数えられる書家でもありました。

 「山水含清暉」は六朝時代の宋の詩人、謝霊運の「石壁精舎還舎湖中作」の一節。「山も水も清らかな光をあびて輝く」の意味ですが、旧田代家では「山水」は北遠の山と天竜川の清らかな流れのことでしょうか?





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