2018年10月04日

遠信国境・青崩峠を歩く⑥―瑟平太郎の墓

瑟平太郎の墓 かつては同じ磐田郡だった水窪と磐田との強い結びつきを示すのが、秋葉街道(塩の道)足神神社のすぐ先に建てられた「瑟平太郎(しっぺいたろう)の墓」です。

 この瑟平太郎の壮大な民話はさらに、磐田の見付天神と長野県駒ヶ根の光前寺とを固い絆で結んでいます。

 その昔、遠州見付の天神様では、毎年八月十日の夜、白木の箱に娘を納めてイケニエとして怪神に供える習わしが続いていました。

 ある夜、イケニエを捕りにきた怪神から、「このことは信濃の早太郎には知らせるな。」との声を聞いた旅の僧が、こっそり光前寺の早太郎を借りてきて、祭礼の夜ひそかに娘の代わりに早太郎を箱に入れて供えました。

 早太郎は、怪神と大格闘のすえ退治し、以来イケニエの習わしは絶え、里人は大いに喜んだが、早太郎も深手を負い光前寺へ帰る途中哀れにもこの場所で息絶えたといわれています。


瑟平太郎の墓 小さな祠の中には、犬を浮彫りにした石が納められています。「瑟平太郎の墓」「太郎犬の碑」「しっぺい太郎の墓」と呼び名や表記には多少の違いがありますが、磐田では「悉平太郎」、駒ヶ根では「早太郎」です。

 しかし、私の説としては、佐久間町浦川の「尻平沢」、春野町筏戸大上、石打松下、領家の「シッペイ沢」、田黒の「シッペ沢」、愛知県東栄町の「大尻平」「尾尻平」、長野県木曽町の「尻平沢」など各地に点在する土石流災害に由来する地名から連想された話だと思っています

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