2018年10月14日
遠信国境・青崩峠を歩く⑯―「青崩峠」の標識
水窪の「青崩峠」―日本列島を東西に走る中央構造線が南北に向きを変える場所。北側の領家帯には、花崗岩や片麻岩などの白っぽい石が多く、高温低圧型の変成帯であり地下10キロ程度の深さでできたと推定されています。
これに対して、南側の三波川帯は低温高圧型の変成帯であり、地下30キロ程度の深さでできたと推定されている緑色の緑色片岩が多く、「片理」と呼ばれる、面状構造を持っていますので、板状にはがれやすく脆い石です。
「白亜紀」には離れて存在していたはずの2つの変成帯が、中央構造線の活動により大きくずれて接するようになり、「青崩峠」で見られる破砕帯とは、岩盤が割れてずれる時の圧力によって砕かれた緑色片岩の層というわけです。
まあ、とにかく、「青崩峠」に立つ「静岡県指定史跡」の標識は、緑と白の2色の石で黒の石を挟んだデザイン。多分、色違いの花崗岩を使用しているのだと思いますが、2つの変成帯と中央構造線を表わしているのでしょう。
これに対して、南側の三波川帯は低温高圧型の変成帯であり、地下30キロ程度の深さでできたと推定されている緑色の緑色片岩が多く、「片理」と呼ばれる、面状構造を持っていますので、板状にはがれやすく脆い石です。
「白亜紀」には離れて存在していたはずの2つの変成帯が、中央構造線の活動により大きくずれて接するようになり、「青崩峠」で見られる破砕帯とは、岩盤が割れてずれる時の圧力によって砕かれた緑色片岩の層というわけです。
まあ、とにかく、「青崩峠」に立つ「静岡県指定史跡」の標識は、緑と白の2色の石で黒の石を挟んだデザイン。多分、色違いの花崗岩を使用しているのだと思いますが、2つの変成帯と中央構造線を表わしているのでしょう。
ちなみに、「領家帯」の「領家」とは、水窪の地名に由来する名称です。