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2020年05月03日

ステイホームで「西国巡礼」①―体力と資力の証

吉沢の巡礼塔 「西国三十三箇所霊場」とは、近畿2府4県と岐阜県に点在する33ヵ所の観音霊場。日本では最も歴史のある巡礼行です。北遠のあちらこちらに巡礼行を完遂した記念の石塔が立っています。その中から2基を紹介しましょう。

 右上の石塔は、浜松市天竜区佐久間町吉沢に立っているもの。正面には「西國三十三所順礼観音」、向かって右側の面には「元禄二年」と彫られています。

 「元禄2年」は西暦1689年、「宝暦2年」は西暦1752年。1000年の歴史を持つ「西国三十三箇所巡礼(=順礼)」ですが、庶民の間で盛んになったのは、江戸時代に入ってから。長期にわたり広い地域を巡るのですから肉体的な苦痛はもちろん、宿賃もバカになりません。

 資料によると、素泊まりの木賃宿で20~30文、食事付きの旅籠屋は200~300文。当時の100文は、現在の500文ほどに当るとのこと。例えば、甲斐(山梨県)からの西国巡礼には7両(21万円)がかかっているそうです。奉公人の給料が1年で1両前後の時代。一生に1度、体力と資力を兼ね備えた人だけが許された特別な旅行でした。

 もしも、あなたがその当事者だったとしたら、やはり記念塔を建てますよね?

 *記事は「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。ステイホームのため、過去記事を再掲載させていただきました。



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