2017年09月10日

明治の船宿を初公開 浜松・天竜

明治30年に田代家が造り、筏師らが利用した船宿 天竜川で木材を運んだ筏師(いかだし)らが使用した明治期の船宿が9日、浜松市天竜区二俣町鹿島の展示施設「筏問屋田代家住宅」に隣接する同所で初めて一般公開された。船宿は全国にもほとんど残っておらず、住民有志は地域の貴重な遺産として活用したいという。

 田代家は戦国時代、徳川家康の遠州侵攻に協力して税免除の特権を受け、天竜川の筏問屋で財を築いた。船宿は1897(明治30)年に建設、木造瓦ぶき2階建てで10部屋ある。

 住民有志でつくる「鳥羽山城跡とまちづくりの会」が建物を調査、田代家の文書で確認した。

筏師が使用した道具を説明する曽我清臣さん(右) 筏師は山で切った木材で筏を組んで流し、江戸-明治期に集積地として栄えた河口の掛塚(磐田市掛塚)まで運び、戻ってくる際に船宿を利用した。昭和30年代に佐久間、秋葉ダムが相次いで完成、輸送もトラックに置き換わり、天竜川で筏の運搬は姿を消した。

 同会は天竜川の歴史に触れてもらおうと、船大工の道具や、筏が天竜川を下る田代家所有の明治時代の写真など50点を並べた。

 同会代表の曽我清臣さん(75)は「文化財として取り壊さず、地域のまちづくりに生かしたい」と話す。11月19日まで、土日祝日に公開。問い合わせは曽我さん=電053(925)6057=へ。(「中日新聞」より)


 私たち「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」としても参考にしたいのが「筏問屋田代家住宅」。廻船問屋津倉家も「文化財として取り壊さず、地域のまちづくりに生かしたい」と考えています。


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